野球
二宮清純「75年日本シリーズ、西宮球場“鉄塔伝説”の真相」

 山本一義さんと言えば、生え抜きとしては山本浩二さんが入団するまでの広島における最大のスターでした。広島商高から法大とアマチュア野球のエリートコースを歩み、1961年に広島に入団。巧打の4番として、長きに渡って広島の中軸を支えました。

 シュアなバッティングを身上とし、ミートに定評のある山本一義さんが高めのとんでもないボール球に手を出すのだから、高校生の私は面くらいました。いくら初めての日本シリーズとはいえ、ベテランの山本一義さんがここまで緊張するものなのか……。

快刀乱麻の山口高志

 それは75年10月25日、阪急の本拠地・西宮球場。広島との日本シリーズ第1戦。この年、広島は“赤ヘルブーム”を巻き起こし、球団創設以来、初のリーグ優勝を果たしました。

 先発は広島が外木場義郎さん、阪急は足立光宏さん。広島が1点を返し、3対3の同点に追いついた8回表、なおも赤ヘル打線は1死一、三塁と足立さんを攻め、打席には水谷実雄さんに代わって、山本一義さんが入りました。この年、37歳になっていた山本一義さんは水谷さんにレフトのポジションを奪われ、代打で起用されることが多くなっていました。

 ここで阪急ベンチも動きました。上田利治監督は足立さんに代え、ルーキーの山口高志さんをマウンドに送りました。関西大、松下電器の頃から、「ホップする」と言われたストレートはプロのバッターをもきりきり舞いさせ、この年、12勝、防御率2.93で新人王に輝いています。

 結論から言えば、山口さんのストレートに山本一義さんは全くタイミングが合いませんでした。伸びのある高めのストレートに対応できず、バットは虚しく空を斬りました。山口さんはここから4者連続三振を奪うのです。