第16回 勝新太郎(その一)
破天荒な俳優――。大変な浪費家だった、六代目尾上菊五郎に真っ先に惹かれる

 勝新太郎の自伝『俺・勝新太郎』は、精彩に富んだ、実に面白い本だ。

 豪放なイメージがある一方、かなり面倒くさい、複雑に込み入った、自意識の迷路を手繰りだそうと、あの手この手を費やしながら自らの正体を確定しようとしている。

 まさしく「俺」をめぐる厄介な行きたて。

生い立ちを書くのはやさしいが自分がどんな人間か書くということが、こんなにむずかしくなるとは思わなかった。/自分の姿を一生見られないのと同じだ。しょせん見たところで映画で見た勝新太郎か、鏡の中の勝新太郎でしかない。他人が見た〝勝新太郎〟という勝は、一生、俺は絶対に見られない。/勝新太郎は反省していない、と新聞、雑誌に書いてある。/風呂から上がって、勝新太郎を見ようと思い、鏡を見た。誰が見ても、反省している顔には見えないだろう。/反省した顔を鏡の中で演じてみた。実にいやらしい人相の顔が映っている。この顔をして裁判所に行けばいいのか。いやだ、こんな顔をするほど、悪いことはしていない。不安とファンは違う

 勝新太郎は、昭和六年十一月二十九日、長唄三味線の杵屋勝東治と、その妻八重子の次男として、千葉の母方の実家で生まれた。

 母の実家は『常磐楼』という、かなり流行った料亭だった。

『常磐楼』を仕切っていたのが母方の祖母で、生まれて以来、御本人の回想によればずっと祖母に抱かれていたという。客が退いた後、祖母は勝を抱きながら算盤を弾いた。それで算盤の音嫌いになったというのだが・・・・・・。

 人生のはじまりから金勘定とは相性が悪かった、というのは出来すぎではあるけれど。

 幼児の記憶は、事後に捏造された物だ、というのが一般的な理解だが、何千何百という音曲のレパートリーを持ち、芝居の所作からセリフ廻し、映画の台本を含めて、ほとんど丸ごと記憶しているという勝ならば、幼時からの記憶が保存されていたのかもしれない。