アダム・スミスの「生きるヒント」 第26回
「正しい人間として生きる一番簡単な方法」

第25回はこちらをご覧ください。

《原 文》
宗教は自然の義務感を強化する。したがって世間の人々は一般に深い宗教的情操を抱いているようにみえる人々の正直を非常に信用する傾向がある。(『道徳情操論』P366)

《意 訳》
人は、宗教を信じている人を、より信頼する傾向がある。

 人間はだれしも「軽薄な人」と「賢人」の2面性を持っている、とスミスは考えていました。道徳的な善悪の判断はつくが、それでも世間のうわべの評価に踊らされてしまう危険性が常にある、ということです。

 ただし、宗教心、神への信仰心がある人は、誘惑に負けずに正しい判断に従う「義務の感覚」を強く持ちます。自分の中に作り上げた「裁判官」の判断に従い、「賢人」になろうとするのです。

 神への信仰心が「義務の感覚」を強くするのは、「神様が見ている」と感じるからです。世間は欺けても神様を欺くことはできません。だとしたら、「正しく生きる」しかないのです。

 もし「称賛に値しない行為」を世間が表面的に判断し評価してくれても、神様にはそれが偽りであることが分かってしまいます。だとしたら、「表面的な評価」は自分から拒否しなければなりません。

 もし罪を犯してしまえば、神様には分かってしまいます。それが世間にバレていなかったとしても、罪から逃れられるわけではありません。だとしたら、隠さずに正直に罪を償うべきです。

 神への信仰心を持っている人は、このように考えます。これが人を賢人にさせるのです。そのため、人は神への信仰心を持っている人を信頼する傾向がある、とスミスは考えていました。信仰心を持っていても、その人の「思いやりの気持ち」が増しているわけではありません。しかし、結果としては信仰心が人間を正しい行いに導き、「信頼できる人間」にするのです。

 英語に"atheist"という単語があります。これは「無神論者」という意味です。たまに「無宗教」という意味で誤って使われるケースがあるようですが、絶対に間違えてはいけません。というのは、英語で"atheist"というと、「神を信じない=信用できない奴」という意味に受け取られるのです。

 多くの日本人は、特定の宗教を持っていませんので、「無神論者」と言われても「だから何?」という感覚です。また、「神様なんているわけないよね」と言っても、特にどう思われることもないと思います。

 ですが、英語圏ではまったく違うのです。

 人間が最終的に良心に従って正しい行動をするのは、神を信じているからこそだとすれば、"atheist"を信用できないのも頷けます。

 スミスの指摘は、現代もまさに生きているのです。

 ただし、わたしたち日本人は「神」に対してまた別の想いを持っています。宗教心を持っていないからといって、即「信用できない人間」とはなりませんし、正しい人間になるために宗教に帰依しましょう、といっても、あまりピンときません。

 以前もこの連載で書きましたが、日本人の感覚で言うならば、

 「心に大事にしているものがある

 「守るべきものがある

 ということでしょう。

 無宗教であっても、自分が「心から大切に思っているもの」がある人は、スミスがいう「賢人」になれるのです。それさえ持っていれば、正しい人間として生きていかれるのです。難しいことを考える必要はありません。とてもシンプルなことだと思います。

賢人としての生きる

 このアダム・スミスの連載も今回が最終回となります。ここで最後に、わたしが『道徳感情論』からもらった大切な気づきを紹介させてください。

 スミスは人間を「賢人」と「軽薄な人」の2種類に分類し、賢人になることを幸福の条件とし、さらに人間のあるべき姿とも考えていました。

 ここで重要なのは、賢人と軽薄な人を分けるのは、「成果のレベル」ではないということです。いくら高い実績を挙げられても、世間の表面的な評価に踊らされる人は軽薄な人です。一方で、それほど高い業績は挙げられなくとも、自分の心に正直に生きている人は賢人なのです。

 以前、クレジットカード会社のテレビCMでこんな描写がありました。

 試合中に相手から足をかけられたかのように、わざと転んでファウルをもらうエースストライカーを「偽物」として描いていたのです。特定の人物を指していたわけではありませんが、プロサッカーの試合でエースストライカーと呼ばれる人物ですから、普段のパフォーマンスは超一流のはずです。長い間トレーニングをして、その座を勝ち取ったに違いありません。

 でも、自分を偽って審判や観客を欺いているので、「偽物」なのです。

 2000年のシドニーオリンピックで男子柔道100キロ超級の決勝戦で起こった「事件」を覚えていらっしゃる方も多いかと思います。日本代表の篠原選手が相手を「内股すかし」で投げ、一本勝ち・・・のはずでした。

 ところが、審判はこともあろうに、相手に「有効」のポイントを出したのでした。結果として、この試合は篠原選手が負け、銀メダルに終わりました。

 この時の相手選手は、「内股すかし」で背中から畳に倒れました。本人は、自分が負けたことを完全に自覚しているはずです。ところが試合後の写真を見ると、この選手は両手を高らかに挙げて「勝利」を喜んでいました。 審判の判定が絶対だとすると、この選手はたしかに試合に勝ちました。では、この選手は賢人だったのでしょうか?

 賢人と軽薄な人の区別は、「どれだけ大きな実績を出しているか」ではなく、その人が自分の中に作り上げた道徳規範に、真摯に従っているかです。自分に嘘をつかず、周囲からの雑音に惑わされずに、「正しい」と信じたものを実行していく、それが賢人なのです。

 前にイチロー選手が賢人であるということを説明しました。

 イチロー選手は、誰もが認める大記録を打ち立て、いまや世界一のプレーヤーといっても過言ではありません。しかし、彼が賢人たりえるのは、そのような実績を上げたからだけではなく、自分自身からの評価に真摯に向き合い、本質を見ているからです。表面的な称賛に踊らされず、反対に世間から評価されなくても自分で満足することができるからです。

 もちろん、世界に通用する能力があれば、それに越したことはありません。しかしそれがなくても、賢人として、イチロー選手のように周囲から認めてもらうことはできるのです。

 「『賢人』の生き方をしてみたい」

 この連載を読んでくださっている読者の皆さんの中で、スミスの考えに共感し、そう感じていただいた方がいらっしゃいましたら、紹介者としてこの上ない喜びです。

著者:木暮 太一
『いまこそアダム・スミスの話をしよう』
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