第14回 ロックフェラー(その二)
石油事業の経営権を二十代で掌握した。
西部開拓とともに拡大の一途を辿った

 一八五九年、二十歳で、ジョン・D・ロックフェラーは、ヒューイット&タトル商会を退社した。そしてモーリス・クラークをパートナーにし、自分の卸売商会をたちあげた。扱う商品は、ヒューイット&タトルとほぼ同じで小麦、豚肉、塩だったが、しばらくして石油も取引品目のなかに加えられた。

 一八六〇年、ロックフェラーは大統領選挙に投票した。リンカーンを大統領にするためである。ロックフェラーは、奴隷制度廃止の集会にも何度か足を運んだという。しかし、サムター要塞が攻撃を受け、リンカーンが七万五千人の志願兵を募った時、その呼びかけに応じなかった。彼は三百ドルを支払って身代わりになる兵士を雇い、軍に資材を提供したのである。南北戦争は、ロックフェラーにとって大きな商機となった。終戦までに一万ドルの財産を築いたという。

 会社を設立して四年目の一八六三年、クリーブランドとペンシルバニアの間に鉄道が敷かれた。そしてすぐ沿線に石油精製所が立ち並んだが、その最初期のパイオニアが、ロックフェラーとクラークだったのである。

 業績は順調だったが、二人の経営者は異なった見通しを抱いていた。クラークは、今後は慎重に経営すべしと唱え、ロックフェラーは強気だった。二人の経営者は突飛なやり方で決着をつけた。

 ロックフェラーとクラークの二人だけでオークションをし、高値をつけた方が経営権を握り、負けた者は、その額を懐に去る・・・・・・。

 五百ドルからはじまったオークションは、たちまち騰がっていった。

六万ドルまで進み、ゆっくりと七万ドルまで行った。私は自分に事業を買う力があるのか、払えるだけ稼げるのか、と心配しかけていた。とうとう、相手が七万二千ドルという値を付けた。私はためらうことなく七万二、五〇〇ドルと言った。すると、クラーク氏がこう言った。『これ以上は出せない、ジョン。事業は君のものだ』。私が『今、小切手を渡そうか』と言うと、『いや結構』とクラーク氏が言った。『君を信頼する。都合のいいときに払ってくれ』」("Randome Reminiscences of Men and Events", John D. Rockefeller. 井上廣美訳)

 ロックフェラーの評伝『タイタン』の筆者ロン・チャーナウは、購入価格の七万二千五百ドルは、現在の六十二万二千ドル(約五千百万円)に相当すると計算しているが、それでも得た物は巨大だった。二十五歳で、クリーブランド最大の石油精製所を傘下に収めたのである。競争相手の製油能力の二倍以上の規模だった。