アダム・スミスの「生きるヒント」 第25回
「『プロセスも評価してほしい』は間違っている」

第24回はこちらをご覧ください。

 以前に「賢人」と「軽薄な人」の感じ方の違いを説明しました。そこでは軽薄な人は「偶然だったとしても、いい結果が出て世間が称賛してくれれば、うつつを抜かして喜んでしまう」と書きました。

 一方、賢人は、「不規則な結果」よりも、それまで踏んできた過程に目を向けます。たとえ世間が称賛してくれても「偶然出た好成績」には喜びません。そして、世間が称賛してくれなくても、自分が納得できていれば、仮にいい結果が出なくても、満足するのです。

 これは個人が「正しい人間」になるためには必要な認識です。賢人は「不規則な結果」には踊らされず、過程を含めて本質を見ているのです。

 ところが、一方でスミスは次のように記述しています。

《原 文》
恩恵を与えようと努力して不成功に終った人自身は、そのような努力に成功した場合におけると同様にかれが恩を施すつもりでいた人の感謝を決して期待してはならず、あるいは恩を施すつもりでいた人に対する自分自身の功績に関しても、同じような感覚を決して抱いてはならないのである。(『道徳情操論』P230)

《意 訳》
「つもり」だけで、最終的に「結果」が伴わなければ、高い評価にはならない。

 つまり、「結果が出なければ、世間からは認められない。認めてもらおうと思ってはいけない」と言っていたのです。世間は、プロセスよりも結果を重視します。そのため、いくら完璧なプロセスを踏んでも、結果が出ていなければ評価してもらえないのです。

 このように書くと

 「やはり世間は表面的な評価、本質ではない評価しかしない

 「世間の評価は妥当ではない

 と感じがちです。

 ところが、スミスもまた、「結果が出ていなければ、評価されないのは当然」と考えていたのです。

《原 文》
われわれが特定の事例に臨んだ場合には、ある行為の偶然にもたらす現実の結果は、その行為の功績または罪過に関するわれわれの情操に非常に大きな影響を及ぼし、ほとんど常にわれわれの功績感を高めたり、低めたりする。(『道徳情操論』P219」)

《意 訳》
私たちが下す「他人への評価」は、「結果がどうだったか」に大きく左右される。

 「結果だけでなく、プロセスも重要だ」。そう考える人も多いでしょう。また、「自分は結果だけで判断しない人間」と言えば、「相手の気持ちが分かる温かい人間」と思ってもらえると感じている人もいるでしょう。

 しかしスミス曰く、現実には「誰もが自覚せずにそう判断しているし、そう判断しているとも認めない」のです。

《原 文》
このような情操の不規則性はすべての人がこれを感じておるにかかわらず、しかもそれを充分に自覚している人がほとんどおらず、そして誰もそれを自ら進んで信じようとしない。(『道徳情操論』 P219)

《意 訳》
だれもが「結果重視」で考えているにもかかわらず、自分でそれを自覚しておらず、また自分がそういう考えをしていることを認めようとしない。

 スミスは、「他人の感情を推し量ることが、仁恵や人間愛の美徳に通じる」としています。だとすれば、「そのつもり」があって、結果を出そうとしてがんばったのなら、たとえ結果が出なくても、本人の気持ちを推し量り認めてあげるのが美徳、それが人としてあるべき心持ちだと考えてもよさそうです。

 ところが、そうは考えませんでした。「結果」が出なければ意味がなく、ましてや「結果は出なかったが、ここまではやった」と他人に恩を感じさせることはできない、と考えていたのです。

 自分自身を評価する時には、「偶然出た結果」を安易に喜んではいけません。目をつぶってホームランを打っても、自分は良くやったと感じてはいけません。仮に世間が賞讃してくれても、その評価に「便乗」してはいけません。

 同時に、自分自身が納得できるプロセスを踏んでいれば、「たまたま悪い結果」になったとしても、満足すべきです。これが「賢人」の考え方なのです。

 ですが、これは「自分自身をどう見るか」の話です。自分自身を評価するときには、たとえ表面的な結果がよくなくても、自分自身が納得いくプロセスを踏んでいれば「善」と考えていいのです。結果だけにこだわらず、地に足をつけた本質的な評価をすべきなのです。

 一方、世間からの評価は「結果を出してこそ」です。ここを混同してはいけません。

 いくら「自分は頑張った」といっても、周囲はそう思ってくれません。自分自身をどう見るかとは別に、「結果が出なければ、当然、世間に認めてもらうことはできない」、そう認識しなければいけないのです。

 じつはこの結果と評価の話は、現代の起業家が書いた本でも全く同じように書かれています。

 それは、幻冬舎の見城社長、サイバーエージェントの藤田社長が書いた『憂欝でなければ、仕事じゃない』です。

 見城社長は、こう言います。

 「大変な努力をしても、そのことを知っているのは自分しかいない。結果を評価するのは、上司や取引先や世間である。つまり努力する側とそれを受け止める側は、何ら共通認識のない、まったく別の主体なのだ。両者の間には、どうすることもできない、絶望的な溝がある。

 もう辞めてしまったが、以前うちの会社に観るからにがんばって仕事をしている様子の社員がいた。何事も手を抜くということをしない。仕事が煮詰まってくると、ねじり鉢巻きをし、寝袋を持ちこんで会社に泊まり込む。誠実で気のいい男なので、誰も何も言わない。僕も彼の存在には随分、精神的に助けられた。何とか結果が出てほしいと、心から願っていたが、なかなか出ない。

 僕は一度だけ、切なさの余り彼に言ったことがある。『君、結果を評価するのは僕だからね。プロセスは関係ないから』」

 続けて、藤田社長は、こう言っています。

 「何事でも、『結果ではなく、プロセスを評価してほしい』という人がよくいるけれど、僕はこれを聞くたび、ただならぬ違和感をおぼえます。

 僕は経営者なので、結果が出なくても、本気で仕事に取り組んだ社員には、次のチャンスを与えるようにしています。しかし、プロセスを評価してほしいと本人が考えているとしたら、一体どこに焦点を合わせて仕事をしているのか心配になります。そうい人が結果を出したのを、僕は見たことがありません。

 結局、仕事とは勝負なのです。勝とうとしなければ、勝てるわけがない。プロセスというのは、結果論で得られる副産物に過ぎないのです。

 結果を出せる人は、見た途端にわかります。(中略)初めから、勝ちに行こうととしている。そこにプロセスを評価してほしいという甘えはありません」

 お分かりいただけますでしょうか? スミスが論じたのは、単なる説教ではありません。ビジネスにも通じる、真理、本質なのです。

賢人としてビジネスをしているか?

 スミスの考えは、「人として正しくなければいけない」というだけでなく、「ビジネスパーソンとしても、『賢人』としてふるまうことが大事」と改めて気づかせてくれます。

 スミスは、人間のあらゆる行動は「自分の中の『裁判官』」「内なる声」に従うべきと考えていました。その声に従うことが、人間として正しい行動をする条件なのです。

 これはビジネスでも一緒です。そして、「『内なる声』に従うべき」ということは、ライバルとの競争だけでなく、消費者との関係にも当てはまります。消費者に売る商品は、自分の中の正義に従って生み出したものでなければならないということです。

 「自分が本当に信じることができる商品でビジネスをしているか?

 この問いかけが必要なのです。

 スミスの時代と比べて、現代は社会が多様化・複雑化し、さらに変化のスピードがますます速くなっています。そのため、現代のビジネス社会ではどんな商品が世の中(消費者)に評価されるのか、どんな商品を売り出せばヒットするのか、ますます分かりづらくなっています。要するに、「いいもの」が何なのか、分かりにくくなっているのです。

 結果として、生産者本人が「いいもの」かどうか分からないまま、発売された商品もあり、他社のマネ、ヒット商品の二番煎じが数多くお店に並んでいます。

 ある商品がヒットすると「二匹目のドジョウ」「三匹目のドジョウ」が多数発売されるという状況は、誰もが目にしたことがあるでしょう。これは商品の生産者が「自分の中の裁判官」「自分の正義」に従っていないことの現代的な例だと思います。

 なぜなら、「二匹目、三匹目のドジョウ」は、本来自分がいいと思っていたわけではなく、世間がそれを評価している「らしい」ので、自分も売り始めたにすぎないからです。

 もちろん「二番煎じ」が、全てそうではありません。ヒット商品に感化されて、「自分もそんな商品を作ってみたい!」と本気で思った方もいると思います。その場合は、自分も本当に納得しており、「自分の正義」にも反していないでしょう。

 でも、単に見かけや機能をそっくりまねした商品や、単純に一時的に売れればいいと思っているのでは? と感じざるを得ないものが多いのも事実です。

 資本主義経済で生きているビジネスパーソンは、売上と利益の拡大に至上命題的に取り組んでいます。そのため、少しでも「おいしいマーケット」があれば、そこに興味を持つことは自然なことです。

 また、これだけ多くの商品が流通している現代では、完全にオリジナルの商品、他のどれにも似ていない商品はないかもしれません。意図せずとも、どこか似てしまうのは避けられないでしょう。

 しかし、もしスミスが現代に生きていたとしたら、

 「その商品は、『自分の中の裁判官』の意見に従ったものか?

 と問いかけてくるでしょう。

 もし、この答えが「No」であれば、わたしたちのビジネスは道徳に反していると非難を受けるでしょう。

 その商品が本当にいいものかどうか、本当に顧客に薦められるものかどうかは自分が一番よく分かっているはずです。本気で薦められるものではないのに、「類似商品が売れているから」「発売したら買ってくれそうだから」という理由で商売をしてはいけない、改めてそう考えるようになりました。

 資本主義経済で生きていくことは大変です。常に結果を出さなければいけませんし、今日明日を食べていくお金は何としても稼がなければいけません。わたしたちは、日々なんとかして売上をたてるためにお客さんが買ってくれそうなものを必死で探して、考えて生きています。それが現代資本主義の宿命かもしれません。

 ただし、そこで「裁判官」の意見に反して、後ろめたさを感じながら仕事をしている人はとても苦しいのではないでしょうか? 自分で納得できない、「本物」と思えない商品を売っていることになり、自分は本当にこれで社会の役に立っているのか? という意識をどこかで感じていることでしょう。

 「最高品質の商品でなければ売ってはいけない」ということではありません。商品を価格帯別に設計し、「質はそれほど高くないけど、安く手に入るもの」を作るのも重要なことです。しかしその場合でも、「たしかに最高級モデルよりは質は劣るけど、この商品は自信を持って薦められる」という気持ちでビジネスに臨めることが大事だと思うのです。

 そうして、自分に嘘をつかないでビジネスをしていれば、「心の平静」が得られます。

 なんでもかんでも売れればいい、金儲けができればいいと考えて仕事をしている人よりずっと充足した気持ちになれるはずです。そしてそれが自分に合った仕事なのだと思います。

著者:木暮 太一
『いまこそアダム・スミスの話をしよう』
(マトマ出版、税込み1,680円)
何が正しくて、何が間違っているのか? 人間の幸せとは何なのか? なぜ経済発展が必要なのか? いまこそ、アダム・スミスが経済学を創った真意を知り、人間の生き方と幸福を考え直す時。

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