佐々木俊尚 現地レポート Vol.2
住民、自治体、地域、避難所・・・それぞれの「温度差」が広がる被災地の現実

特別寄稿 そこに日本の未来はあるのか 
〔PHOTO〕gettyimages

 被災地は一様ではない。

 仙台から名取市、北上して気仙沼から陸前高田へと宮城県内の被災地を取材し、行政スタッフやボランティア、企業経営者、被災した人など15人以上の方々にインタビューしてその思いを強くした。

 ライフラインは徐々に復旧しつつある。仙台市中心部はすでに商品も普通に並んでいるし、お店も普通に営業している。牛タンの名店もランチタイム時に久しぶりに行ってみたら、ちゃんと営業していてスーツ姿のビジネスマンで賑わっていた。夜の街は節電している東京よりも明るいぐらいかもしれない。津波で壊滅した海岸沿いを除けば、仙台市はすでに非被災地的な空気に戻っている。

 しかし仙台から北上して松島から本吉、気仙沼へと三陸方面に向かうと、ライフラインはまだ復旧途上だ。海岸沿いの集落を結ぶ道路は応急の盛り土などによって大半が復旧している(ただしその後の大雨で一部は損壊)。重機が大量に動員されてがれきの撤去も少しずつ始まっているが、こちらはまだ緒についたばかりという印象だった。

大規模な避難所なのに炊き出しができない

 気仙沼市でも、がれきが一面に広がる港湾近くの埋め立て地から少し上がれば、ごく普通の生活が始まっている。津波が到達しなかったJR気仙沼駅の近くのスーパーはもう当たり前に営業していた。漁港の街なのに新鮮な魚がまったくなく、冷凍品ばかりが置いてあるのを除けば、ごく普通の田舎町で買い物をしているのとなんら変わりはない。もちろん電気や水道なども4月21日の時点ではとっくに復旧していた。

 仙台と三陸、津波が到達した場所と到達しなかった場所、そうした温度差に加えて、避難所ごとの温度差もある。

 物資が豊富にある避難所がある一方で、いまだ欠乏している小規模な避難所もある。避難所に指定されていない民家に数世帯が身を寄せ合っているような場所もあり、こうした「私設避難所」では公的な援助がうまく受け入れられていないケースもある。

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 逆に大規模避難所だから何でもそろうのかというと、決してそうではない。

 たとえば初期に2000人もの人が避難し、現在も400人を収容している多賀城市文化センターでは、温かい食べ物がなかなか食べられないという問題があった。なぜか。NPO「助けあいジャパン」の森博之さんや大藤多香子さんらによると、「人数が多いため、全員に行き渡る炊き出しが不可能でした。結果としておにぎりやパンなどが中心になってしまい、温かい食べ物が供給できないという問題が生じてしまったんです」。

 さらにもっと大きな問題として、情報がうまく流通していない。必要な物資やボランティアの支援については、避難所でニーズを一元化し、それを区市町村単位の現地災害ボランティアセンター(VC)から県災害ボランティアセンターへと集約して、NPOなどで情報共有するという流れになっている。

 助けあいジャパンは4月からJR仙台駅構内にボランティア情報センターを設置し、遠くから訪れたボランティアの人たちへの情報提供を行っているが、そこで提供される情報もこのVC経由の情報の流れにかなりの部分を依拠している。

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