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スペシャルインタビュー 倉本聰
北の国から見た奇妙な国ニッポンよ

週刊現代 プロフィール

 先日も800人の聴衆を前に、こんな話をしました。「'70年代の生活スタイルに戻れば、電気使用量は現在の5分の2で済みます。だから、原発は必要ない。ただ、生活は不便になるでしょう。どちらを選びますか」と。1階席は一般の方で、2階席には高校生の団体が入っていたのですが、1階席のほとんどの人が昔に戻るほうに手を上げたのに対して、2階席の高校生たちの7割が原発を選ぶほうに手を上げました。便利な暮らししか知らない若い人達には、ケータイもコンビニもない生活など想像できないのでしょう。

 それは仕方のないことかもしれません。ただ、便利さを求め続けたことの代償は計り知れないほど大きいのだということに、日本人は気づかなくてはいけないのです。インターネットやメールは便利だけれど、人々から真のコミュニケーション能力を奪い、家族のつながりを希薄な物へと変えてしまった。

『北の国から』では、五郎たちは自力で風力発電装置をつくって、彼らが住んでいる廃屋に初めて電気が通るんです。それはテレビなんてとうていつけられないような電力で、小さな電球がひとつ点灯するのがやっと。でも、この光を見て純たちは心の底から喜ぶんです。このシーンを、もう一度みなさんに見てほしいな、と思いますね。

'84年から主宰した「富良野塾」は2年前に閉塾したが、倉本氏は現在も富良野市に住む

 原発事故を経験して、こうした思いは強くなるばかりでした。福島を訪問した際に、避難区域に住んでいたお寺の女性住職さんと知り合いました。いまでも文通をしているのですが、彼女は福島県の象徴ともいえる安達太良山が見える場所、という一点にこだわって仮設住宅を転々としている。彼女、手紙には「ふるさと」を「古里」と書いてくるんです。二度と戻れない場所であるという意味を込めて、こう記すのでしょう。「帰りたくても帰れない古里」に対する人々の気持ちを思うと堪りませんね。ふるさとを奪った側の人間に、「それでも便利がいい」と言う資格があるのでしょうか。

 作家として、いまの自分がすべきことは「ふるさと」をテーマに作品を作ることなのだと。それは自然に降りてきた発想でした。そこで『明日、悲別で』という舞台作品を作ることにしたのです。

『明日、悲別で』は、'84年に放映されたドラマ『昨日、悲別で』と、'90年に舞台化した『今日、悲別で』に続く悲別3部作の最終章となります。

 あれは'82年頃のことです。ある日、富良野から車で札幌へ向かう途中に、間もなく閉鎖するという炭鉱の町を通りました。廃墟が目について、よく見ると映画館だったりしてね。かつては賑わっていた町、そしてそこに活き活きと暮らしていた人々の様子が彷彿としてくる。