雑誌
スペシャルインタビュー 倉本聰
北の国から見た奇妙な国ニッポンよ

くらもと・そう/1935年1月1日、東京生まれ。'59年東京大学文学部卒業。'63年にニッポン放送を退社し、脚本家として独立。『北の国から』『前略おふくろ様』をはじめ、数多くの名作を執筆。1月10日より北海道を皮切りに最新舞台作『明日、悲別で』(作・演出)が公演される(東京公演は2月19日~21日)

『北の国から』をはじめとする名作を書き上げた原動力は「怒り」であった。
脚本家、倉本聰、77歳。彼はいま、新たな怒りに駆られて、再びペンを執ることに決めた。

取材・構成/丸山あかね

紅葉の色も柿の色も悲しく映った

 日本人というのは、どうしてこうも忘れっぽいんでしょうね。震災の悲しみも、原発事故への怒りも、たった1年半しか経っていないのに、もう忘れてしまった。いや、考えるのを止めた、というべきかな。

 日本という国は、「ブレーキとバックギアのついていないスーパーカー」だと思っています。戦争に負けた後、「成長」という目的地に向かって走り出したこの車は、物凄いスピードで前に進んでいった。たしかにその目的地には近づいているのだけれど、ブレーキがついていないから、途中で止まることが出来ない。

 今回の震災、それと原発事故を経て、日本にも「ブレーキをつけなきゃいけない」、つまり立ち止まって考えなければならないという声が広がりました。これでようやくまともな車になるかと思ったんですが、それも一瞬のことでした。結局はこのスーパーカーで、走り続けていくことに決めてしまった。

 僕はもう一度問いたい。本当にそれでいいのか、と。

 3・11後の日本は、ますます奇妙な国になってしまった、と感じています。震災そのものの被害については、すべての日本人が心を痛め、地域の区切りを超えて、日本中の人々が「自分になにかできることはないか」と立ち上がった。

 けれど、原発に対しては、まるで蚊帳の外から今回の事故をみている、そんな印象を受けます。

 東日本大震災が起こってから、僕は何度も被災地に足を運びました。2010年に閉塾した「富良野塾」の元塾生が、何人か被災したこともあってね。両親を亡くした者もいたし、奥さんを亡くしかけた者もいた。その悲しみが重なった場所を、自分の目で確かめないわけにはいかなかった。

 福島の避難区域にも足を踏み入れました。原発事故発生直後では邪魔になるということで、最初に訪れたのは'11年の10月でした。飯舘村から川俣町に通じる峠道は、赤く色づいた紅葉が見事で、真っ赤な柿がたわわに実っていた。