11月27日、嘉田由紀子滋賀県知事が新党「日本未来の党」の立ち上げを発表し、「国民の生活が第一」(小沢一郎代表)と「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党(脱原発)」(河村たかし共同代表ら)、さらに「みどりの風」(谷岡郁子氏らが共同代表)の一部の合流が決まった。
ここまで第三極のドタバタ劇が続いているが、いつもその中心的役割を果たし続けたのが、橋下徹大阪市長だ。
橋下氏率いる「大阪維新の会」が国政政党「日本維新の会」を設立した9月以降、政界が一気に流動化し始めた。平沼赳夫氏らの「たちあがれ日本」が石原慎太郎氏を代表に迎えて「太陽の党」を作ると、維新の会と合流を希望していた河村氏の「減税日本」が維新にふられて太陽に乗り換え、合流発表したと思ったら、太陽は、減税との婚約を破棄して政策不一致の維新と解党までして合流。
一方、政策がほとんど一致して結婚確実と見られていた渡辺喜美代表の「みんなの党」と維新の合流話は結局破談になると、今度は未来がみんなに接近を始めたと報じられた。
ここで一番不可思議なのは、どうしてみんなと維新が合流できなかったのかという点だ。
みんなは、言わば元祖第三極。自民党で閣僚も務め公務員改革などで実績もある渡辺氏が、自民党が与党であるにもかかわらず、麻生政権の行革政策が官僚によって骨抜きにされることに愛想を尽かして離党した時には、たった一人の反乱と言われた。その反骨ぶりは今日まで全くぶれていないことは確かで、その点は、橋下氏も一目置いていると思われる。
橋下氏の府知事時代からブレーンを務める原英史氏は、渡辺行革担当大臣時代の補佐官で、まさに官僚との大戦争での盟友である。真偽はわからないが、その原氏を「貴様が原か!出て行け!」と当時自民党行革担当の幹部だった片山虎之助議員(元たちあがれ日本、前太陽の党メンバーで、現在は維新)が恫喝したという逸話が伝わっている。何かの因縁を感じざるを得ない。・・・・・・