「息子と僕のアスペルガー物語」 ライフ
奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」【第6回】
僕が絶対に記憶できないこと

【第5回】はこちらをご覧ください。

楽しくてたまらないイベントで起こったこと

 誰もが自然にできる「あること」が、自分にはできない---。

 そんな衝撃的な事実に僕が気づいたのは、小学生のとき。きっかけは皮肉なことに、やはり「サザンオールスターズ」だった。

 僕が通っていた小学校では、放課後になると、クラスメートたちがある"イベント"を連日のように開催し、下校時間ギリギリまで盛り上がっていた。

 まず、全員の机と椅子を後方に移動させ、教室の真ん中に空いたスペースを作る。そこを即席のステージにして、みんなで順番に、ヒット中の歌謡曲を次から次へと歌いまくるのだ。いわば、小学生版「ザ・ベストテン」である。

 当時は、松田聖子の『赤いスイートピー』や薬師丸ひろ子の『セーラー服と機関銃』などが大ヒットしていたアイドル全盛時代。マイク代わりに筆箱や物差しを握って即席ステージに立てば、誰だって気分はアイドルだ。

 男子も女子も、我も我もと仲間たちの前で巧みにフリをつけ、一人ずつ、歌手になりきって熱唱するのだった。それを囲んで、あちこちから「イエーイ!」「ヒュー!」とにぎやかな叫び声が上がる。僕が「あること」に気づいたのも、そんな楽しくてたまらないイベントの真っ最中のことだった。

決して忘れることのできない出来事

 その日、最初に即席ステージに立ったのは、「あたし、将来は歌手になる」と、今考えると失笑ものの夢を語っていたK子だった。彼女が歌ったのは、当時「ザ・ベストテン」でランキング上位に食い込んでいた、シュガーの『ウェディング・ベル』だった。

 次に歌ったのは、太目の体型で坊主頭、妙に悟りきった口調から、小学生なのに「オッサン」というあだ名をつけられていたS太郎。彼は僕と同じくサザンオールスターズの大ファンで、そのときも『いとしのエリー』を熱唱した。

 物真似のうまさで人気者だったS太郎は、桑田佳祐の巻き舌気味の発音を巧みに再現し、みんなを爆笑させた。歌い終えると、もちろん大変な拍手喝采が起こった。

 「アンコール! S太郎君、次は『チャコの海岸物語』を歌って!」という女の子の声が飛ぶ。『チャコの海岸物語』はそのときのサザンの新曲で、僕も大好きなナンバーだった。