國分功一郎(気鋭のイケメン哲学者)に聞く「せっかちにならない生き方」
東京郊外の自宅書斎にて。胸元にマルクスの刺繡が施されたシャツを着て現れた國分氏。「伊勢丹メンズ館で見つけた時、『これを着るのは俺以外いない』と思いましたね(笑)」〔PHOTO〕吉田暁史

「今の社会を見ていて気になるのは、みんな少し〝せっかち〟すぎる、ということですね。仕事も、子供たちの遊びですら、ころころ変わります。一つのものをじっくりと楽しむことが難しい。これは個人ではなく、社会全体の問題です」

 こう語るのは、高崎経済大学経済学部准教授の國分功一郎氏(38)である。昨年上梓した『暇と退屈の倫理学』が話題を呼び、読者が選ぶ「紀伊國屋じんぶん大賞」を受賞。NHKのバラエティにも出演する気鋭のイケメン哲学者だ。何かと「生きづらさ」が話題となる日本。若手論客は日本の現状をどう見るのか。

「僕は仮面ライダーが大好きなんですが、僕が幼い頃は、変身ベルトのおもちゃが一種類発売されたら、それでおしまいでした。なので、それを使ってできる遊びを自分たちで工夫し、そのおもちゃを徹底的に楽しみました。愛着も強かった。しかし、今は毎月毎月、メーカーから新しいおもちゃが発売されます。次々におもちゃを取り替え、それぞれを充分に楽しむことができない。こういう〝落ち着かなさ〟が社会に蔓延し、不幸の源泉となっている部分があると思う」

 國分氏は、一つのものをじっくりと楽しめない、このような〝せっかちさ〟が、 人々の〝暇〟な時間、つまり、特にやるべきことのない時間にまで入り込んでいることを指摘する。それは、消費社会の仕組みとして社会全体に浸透し、人々は、外から与えられる様々な商品やサービスで暇を埋め、満足を得ようとする。しかし、そうして埋められた暇な時間は、忙しいようでいて、なぜか充実を感じられない〝退屈〟なものだ。氏は、こうした状況が、現代の閉塞感に影響しているのではないかと分析し、自分の過去についてもこう振り返る。

「高校時代の僕も、暇な時間、〝やるべきことがない時間〟に耐えられませんでした。そこで、楽しみをじっくりと探すのではなく、次から次に、手当たり次第楽しみを探したんです。生徒会、音楽部の部長、新聞部。文化祭では、クラスの出し物にも参加し、勉強も手を抜かず、ピアノも習っていたので、無茶苦茶忙しかった。ところが、すごく忙しいのに、どことなく充実感がなく退屈なんです。『こんなに忙しくしていて暇はないのに、退屈なのはおかしい』と思っていました。今考えると、暇を紛らわそうと、いろいろなものに手を出し過ぎ、そのために充実感がなかったんですね」

 氏は哲学を武器に考え抜く。そして、暇な時間を退屈せずに過ごすのには、「自分が本当に楽しめるものを吟味して見つけ、徹底的に楽しむ」、「そのための訓練をする」ことが重要だと気づくのだ。