ドイツ
経済的繁栄にうつつを抜かし、日本人自ら日本の歴史と伝統を潰してゆく・・・没後42年の「憂国忌」に考える三島由紀夫の理想と日本
〔PHOTO〕gettyimages

 1970年11月25日、自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)で、三島由紀夫が割腹自殺をした。50歳以上の日本人は、皆、そのニュースをはっきりと覚えているだろう。60歳以上の人なら、それを聞いたときの衝撃度まで鮮明に思い出せるかもしれない。

 三島氏の没後すぐの12月11日、若い数人の関係者の尽力で追悼の夕べが開かれた。それが翌年からは憂国忌と名付けられ、11月の恒例行事として、今日まで連綿と続いている。

 今年の憂国忌は没後42年、つまり43回目の会で、ちょうど命日の11月25日、永田町の星陵会館で開かれた。日曜日だったこともあり、400名を超す人々が集う盛会となった。氏のファンは未だに多い。

 なぜ、私が憂国忌のことなど書くかというと、実は今年、そこでの講演を仰せつかったからだ。そのためこの数カ月、私は、三島由紀夫の作品、人生、政治的信念、そして氏についての論評などと、とりわけ親しく交わることになった。

戦後日本の発展に異議を申し立てた

 三島を論じることは容易ではない。まず、文学者としての三島と、政治思想家の三島がいる。実は、私はこれまで、ほとんど文学者としての三島しか知らなかった。しかし、文学者の方だけでも、純文学といえる『金閣寺』や『春の雪』から、女性週刊誌に連載されていたような通俗小説っぽい作品、そして、戯曲まで、氏にはいろいろな顔がある。要するに、氏は何でも書ける人だった。

 氏の作品の中で一番印象に残っているのは、若いころ一番初めに読んだ『憂国』、そして『春の雪』と『午後の曳航』だ。他の作品は、そのときは夢中になって読んでも、時がたつとしだいに印象が薄れていった。最初からピンとこなかったものもある。そんな中、この三作だけは何度も読みたくなり、実際、何度も読む。それでも感動は薄れない。

 『春の雪』は今思い出しても戦慄する。『豊饒の海』第四巻の中の第一巻で、舞台は明治の終わりから大正にかけてだ。禁断を破ることへの抗いがたい誘惑、華族の世界に澱のように漂う優美と倦怠。文章は精緻で、作品の印象は長らく尾を引き、私は当時、モデルになった奈良の円照寺まで行った。

 第二部の『奔馬』も面白い。第一部で亡くなった弱々しい華族の青年が、輪廻で生まれ変わり、荒々しく若いエネルギーを発散させる。時は上海事件のころ。青年は世の腐敗に憤り、最後に黒幕の大物を暗殺し、自害して果てる。

 しかし、第三巻の『暁の寺』になると、精彩が翳り始める。そして、最終巻『天人五衰』は、完読したあと裏切られたような気分になったことを覚えている。舞台は70年代。日本がGDPでドイツを抜いて世界2位に躍り出たのが68年のことだから、好景気のただ中だ。しかし、その繁栄の中で、人間の老いや醜さが強調され、日本はいやな国になっている。立派な地位にいる人間もどこか陳腐で、胸に醜い考えを秘めていた。

 今になるとわかる。三島は、戦後日本の発展に異議を申し立てていたのだ。しかし、私には当時、それがわからなかった。三島は、雑誌『新潮』に連載されていたこの作品の最後の原稿を編集者に手渡し、その日の午後に市ヶ谷で自害した。

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