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創刊28周年企画 重大事件、事故、天災「九死に一生」生存者たちの秘話15 part3

 歴史的惨事に居合わせ、ホンのわずかの偶然で「生かされた」人たち。極限での生のドラマを、当事者やその家族が、あらためて振りかえる---。

イラク日本人人質・拘束事件 '04年4月14日
その後、シリアに赴いたジャーナリストの志

イラクの武装勢力「マフディ軍」の拠点クーファで安田氏が撮影('04年4月7日)
「戦争なんだから拘束されるなんてよくあること」と安田氏は言う〔PHOTO〕船元康子

 イラク戦争を取材していた安田純平氏(38)が、米軍が包囲しているというファルージャに渡辺修孝氏、通訳、運転手の計4人で向かったのは、'04年4月14日朝のことだった。首都・バグダッドを車で出て約30分、刑務所のあるアブグレイブの街で検問に引っ掛かった。「米軍のヘリが墜落したから見るか?」と誘われ、車でついていくと銃を持った男たちに囲まれた。拘束の始まりだった---。

「戦闘地域のために使われていない小学校の校舎に連行され、別のグループに引き渡されました。当然、向こうはこちらを米軍のスパイだと思っており、『俺が殺す』と殺気立っていました。『銃殺されるなら暴れて一人くらい巻き添えにしてやろう』とも思いましたよ。しかし、『このままここに留まれば、スクープをものにできる』と強く思い、『帰してくれなくていいから、一緒にいさせてくれ』という話をしたのを覚えています」

 安田氏が拘束される1週間前、日本人3人がイラクの武装勢力に拘束され、安田氏たちが拘束された翌日の15日に解放されるという出来事が重なった。日本国内には、戦闘状態のイラクに危険と知りながら渡航した彼らを非難する声が注がれた。その罵声は、拘束から3日後に解放された安田氏にも注がれた。

「日本で巻き起こった〝自己責任〟の大合唱は、結局、『自分で責任を取ればいいじゃない』、では済まされないんです。行動を起こした個人の家族や会社が責められ、個人に自己責任を取らせてもらえない。アフガンも戦闘状態でしたが、中国企業が進出しても、日本はしない。イラクの人質・拘束事件が、〝リスクを取れない日本〟にした、一つの要因になった気がするんです」