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創刊28周年企画 重大事件、事故、天災「九死に一生」生存者たちの秘話15 part1

フライデー

 '83年の地震では町内で2人が死亡、18人が負傷していた。ただ、今回は津波が到達するまでの時間が想像以上に早かった。増田さん宅は海岸から300mほどしか離れておらず、津波の第一波は、数分で庭先まで来た。

「お婆ちゃんが庭に面している戸を開けたら、もう波が来ていた。地震から5分も経っていなかったと思います。川の流れのようにもの凄い速さで、海水が庭を移動していました。不思議にも、音も何もしないのです。『今町に出たら死んでしまう』と思い、私は末っ子の娘を背負って裏山に逃げました。財布も持たず着の身着のままでした。長男とお婆ちゃんを先に逃がし、私は裏山に通じる道を登ったのですが、腰が抜けて歩けないのです。『お母さん、なにやっているの、流されちゃうよ!』という長男の声が聞こえました。後ろを振り返ったら、青苗の集落が消えていました。家の裏に高台がなかったら、私たちもダメだったでしょう」

 暫く親戚の家に避難した増田さん一家は、2年後に市内の高台に家を新築した。

阪神・淡路大震災 '95年1月17日
〝落ちなかったバス〟の運転手が見た生と死

転落を免れたバス。約1週間後にクレーンで降ろされ、以後10年以上も運行した〔PHOTO〕朝井 豊
震災当日に空撮された阪神高速道路の様子。翌年9月には全面復旧を果たした〔PHOTO〕藤内弘明

「落ちなかったバス」

 崩落した高速道路から大きく車体を出し、ギリギリのところでこらえている観光バスは、当時世間からそう呼ばれた。まるでハリウッド映画のワンシーンのようだが、死者6434人、負傷者4万3792人を出した阪神・淡路大震災で実際に行ったことである。

 バスのハンドルを握っていたのは「帝産観光バス」の運転手だった福本良夫さん(70)。震災前夜、福本さんは約50人のスキー客を乗せて、長野県の野沢温泉を出発した。京都駅と大阪駅を経由し、終点は神戸。ほとんどの客が大阪駅で下車したため、その時点で乗客は女性3人だけだったという。あれから17年。福本さんは地震発生後の壮絶な体験をこう振り返る。