不正・事件・犯罪
スクープした記者が明かす
恐怖の「胆管がん多発事件」はなぜ起こったか【後編】

文・立岩陽一郎(NHK記者)

【前編】はこちらをご覧ください。

規制されてないけど、吸ったら危険な物質ですよ

立岩陽一郎氏

問題と見られる洗浄剤を作っているメーカーは、愛知県にあった。取材交渉は難航するかと思いきや、二、三度の電話のやり取りで「取材に応じてもいいですよ」という答えが返ってきた。私はさっそくそのメーカーを訪ねた。

質問に答えてくれたのは、工場長という肩書の年配の男性だった。彼は次のように説明してくれた。

「(問題となった)洗浄剤に含まれているのは、『ジクロロメタン』と『1,2-ジクロロプロパン』。どちらも塩素系の化学物質です。

このうち、ジクロロメタンは有機溶剤中毒防止規則で規制されており、取り扱いに規則があります。まず、取り扱う際は防毒マスクの着用が義務づけられています。また、利用者は特別な健康診断を半年に一度受ける必要があります。一方、1,2-ジクロロプロパンに規制はありません」

マスク着用を義務づけられるほど毒性のある化学物質を使っていることを、印刷会社SANYO-CYPはわかっていたのだろうか。従業員たちはマスクなど着けていなかった。そして、規制されていないもう一つの化学物質。本当に規制の必要はないのか---。私の疑問はつのるばかりだった。

工場の中を見せてほしいと頼むと、工場長は困った顔をしたが、会社の名称を一切表に出さないことを条件に、製造ラインに案内してくれた。

製造ラインでは、ジクロロメタンを主な成分とする洗浄剤が作られていた。ペットボトル大の容器が横一列に動いていく。詰め込み場に来ると、管が容器の口の部分に密着して、シューという音を立てる。化学物質が液体の状態で詰め込まれる瞬間だ。

その詰め込み場には、壁に排気口が設けられている。工場長はこう説明した。

「あれで『局所排気』をやっているんです。だから臭いがしないでしょ。それが大事なんです。臭いがするということは、有毒な物質が充満しているということですから。排気装置の設置も、ジクロロメタンを扱う上での規則で義務づけられていますよ」

この日は、1,2-ジクロロプロパンを使った洗浄剤の製造は見られなかった。私は工場長に疑問をぶつけてみた。

「ジクロロメタンは規制されていて、1,2-ジクロロプロパンは規制されていないわけですよね。この二つの物質の危険性に差はあるんでしょうか?」

工場長の答えは明快だった。

「私たち製造現場の人間の立場からすると、両者には何の違いもありません。どちらも吸ったら危険ですよ」

驚いている私に向かって、工場長はさらに続けた。

「規制のないものを使うのは当然じゃないですか。規制がかかっているものを使うには、その対処に費用がかかる。たとえば、あの局所排気装置をつけたりしなければならないわけです。だから、その費用と手間が要らない、規制のないものを使うわけです。

でもね、規制がかかっていないから安全という訳ではないんですよ。だから、製造現場の立場から言わせてもらうと、危険なものを使ってもいいようなやり方はやめてほしい。使わせないという規則にすれば、皆、それに従うんだから」

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