第12回 小林一三(その三)
「宝塚歌劇団」の生みの親は、
商工大臣としても辣腕を振るった

 多岐にわたる分野で活躍した小林一三は、多くのエピソードを残している。いずれの挿話も、その面目を表すものになっている。

 たとえば、毎日新聞社の名物記者だった阿部真之介。自らの恐妻ぶりをテーマにした連載エッセイで評判をとっていた。

 阿部は宝塚沿線の池田駅近くに長く住んでいた。池田は、一三が分譲した住宅地で、一三も自宅を構えていた。

 当時、新聞記者は、優待パスを箕面有馬電気軌道から支給されていたと云う。

 まだ、そんなに乗客が多くない時代で、阿部たちは毎日、座って梅田まで通っていた。
一三は、毎日、車内では立っていた。

 ある日、たまたま、電車が混んでいた時があった。阿部が座席に座っていると、一三がやってきて、「君、立ってくれんか」と云う。

 とっさに何を云われているのか分からなかった阿部が、なんでですか、と問うと、一三は、

「君は只じゃないか」と返してきた。

 御本人が立っているのだから仕方がない、阿部はやむなく座席を立った。(『小林一三翁の追想』より)