選挙
裂帛の気合で「16日解散」を語った野田首相の狙いは、総選挙を通じて民主党を「穏健保守」政党へ変身させることだった!?
〔PHOTO〕gettyimages

 野田佳彦首相が11月14日の党首討論(QT)で意表を突いて「16日に解散します。やりましょう、だから」と語ったことで、内閣支持率と民主党支持率が上昇する気配だ。『読売新聞』(15日付夕刊)の「よみうり寸評」が書いた「いつになく首相に気迫を感じた。語気が鋭く裂帛の気合。伝家の宝刀を抜いた連想で言えばそんな印象。決断は評価できる」が国民の大方の気持ちを代弁しているのではないか。

 民主党の輿石東幹事長にも事前に伝えなかった衆院解散の日を、テレビ中継の場で言明するといった異例の決断の背景について新聞各紙は翌15日、16日の朝刊で競って検証記事を掲載している。その中では『日本経済新聞』(16日付)の「解散明言の舞台裏---反対封じの奇襲作戦」が一番真相に近い。同紙報道の肝は、「本題は宴のあと―岡田・藤村氏が残った」との小見出しが付いた11月2日夜の野田首相との閣僚懇親会についてである。

後継首相・代表のもとでの選挙は避けたかった

 同日夜、首相公邸に岡田克也副総理、藤村修官房長官ら閣僚の殆どと2人の官房副長官(政務担当)が招かれ、午後7時から8時54分まで夕食懇親会が催された。野田首相は出席者全員にお酌して回るなど終始上機嫌だったという。ただ、野田氏はお開きになるや「飲み足りない」と言って、岡田、藤村両氏に残るように指示、その後、約1時間半3人が話し合っているのだ。その席で14日の党首討論での解散日明言の意向を伝えたとされる。

 まさにその日の午後、実は、前回コラムで書いた野田首相の「裏面の首相顧問」K・T氏がさる人物に対し「解散は絶対に首相の手で行なう。それも年内に」と語っていたのだ。そして4日後の6日、野田氏はアジア欧州会議(ASEM)首脳会合出席のため滞在中のラオス・ビエンチャンで同行記者団に「(安倍晋三自民党総裁は)聞きたいことがあれば、党首討論で国民の前でやればいい」と呼びかけ、9日に正式に党首討論開催が決定した。

 もちろん、前日の13日に開かれた輿石氏主導の民主党常任幹事会が「党の総意」として年内解散に反対の方針を決めたことも、野田氏の決断を後押ししたことは間違いない。年内解散・総選挙に踏み切らなければ、「野田降ろし」が先鋭化し、首相・代表の座から引きずり降ろされ後継首相・代表のもとで衆院選を闘うことになる。民主党大敗は確実であり、細野豪志政調会長であれ誰であれ、自分の後継者が選挙敗北の責任を取って辞めることになる。それだけは避けたい、というのが野田氏の本心である。

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