ドイツ
『最後の授業』に描かれたアルザス領有問題の政治的意図とは? 領土問題は政治力=軍事力のある方が勝つという歴史的事実を、日本はどう考えるのか
1945年、ストラスブール解放1周年を祝うフィリップ・ルクレール将軍とチャールズ・フレイ市長〔PHOTO〕gettyimages

 『最後の授業』という作品を教科書で習った記憶のある人は多いと思う。普仏戦争でプロイセンに負けたフランスは、ドイツとの国境のアルザス地方を失う。学校ではフランス語を教えてはならないことになり、フランス語教師が最後の授業を行うのだが、そのうち悲しみで言葉が途絶え、黒板に「Vive la France!(フランス万歳!)」と書いて授業を終える。占領され、母国語を奪われたフランス人の怒りと悲哀が伝わってくる感動的な教材だった。

 このおかげで私は、アルザスなどという遠い国の一地方の名を覚え、ここがフランス領であり、今また、めでたくフランス領に戻ったのだと長いあいだ信じていた。だから、そのずっと後、アルザス地方の首府シュトラスブールを訪れたときも、国境を超えた途端に町の雰囲気がガラッとフランス風になったことに気がついて感銘を受け、「この地をドイツ領にしようなどとは、やはり無理な相談だったのだ」と思った。

アルザスではフランス語は外国語だった

 しかし、少し歴史を勉強すればわかることなのだが、アルザス地方は1世紀にゲルマン民族が住み着き、中世からは神聖ローマ帝国に属していた。神聖ローマ帝国というのは、ドイツ人の帝国である。住民のアルザス人はドイツ系で、当然、フランス語は話したことがなかった。しかし17世紀になると、三十年戦争でボロボロに疲弊したドイツに代わってフランス王国が力を付け、膨張政策を進め、1714年、アルザス地方はフランス王国の領有となった。

 ところが、フランス領となっても、住民はアルザス語というドイツ語の方言を話していた。ルイ14世が全盛を誇り、ヨーロッパ中の宮廷で、貴族と名がつけば猫も杓子もフランス語を話していた時勢にも、アルザスでは、公的な場所以外ではフランス語はほとんど根付かなかったという。

 やがてフランス革命が起こり、ナポレオンが現れ、そして、去る。ナポレオンにかき乱されたヨーロッパの秩序回復のためにウィーン会議が開かれ、アルザスがフランス領に留まることになったのが1815年。それでもアルザスで話されていたのは依然としてアルザス語で、フランス語は学校の1科目として教えられていたにすぎなかった。

 その50余年のち、普仏戦争でプロイセンがフランスを破り、ようやくアルザスを取り戻す。そして、アルザスの学校のカリキュラムからフランス語が削除された。宿命の敵の言葉だから、当然のことだろう。

 そこで『最後の授業』となるのだが、この時アルザスの学校では、フランス語は国語としてではなく、外国語として教えられていたということを知ると、『最後の授業』の趣はかなり変わってくる。つまりこの作品は、アルザスを奪還されたフランスの、かなり政治的な意味の込められた作品だったのかもしれない、とも思えてくるのである。

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