中国
もはやパナソニックやシャープではなく、ソフトバンクと「ユニクロ」!? 中国で尊敬される企業のキーワードは「顔の見える経営者」
〔PHOTO〕gettyimages

 「パナソニックが年間7,650億円の赤字---」

 先週、この速報が流れた時、私はたまたま中国のベテラン外交官と談笑していた。彼は感慨深げに、こう漏らした。

 「松下と言えば、中日国交正常化の後の両国友好の象徴的な企業だった。当時、中国人が一番憧れていた日本企業でもあった。それがいまや青色吐息なのだから、時代も変わったものだ」

「わが国の経済発展を助けてほしい」

 1978年10月23日、鄧小平副首相が来日した。日中平和友好条約の批准書を交換するためである。その2ヵ月前の8月10日、鄧小平は平和友好条約の締結にあたって、園田直外相に対して次のように語っている。

 「(尖閣諸島の領有権問題は)いままで通り、20年でも30年でも放っておけばいいんだ。100年置いておいても構わない」

 鄧小平は、東京で批准書の交換が無事終わると、日産の座間工場、新日鐵の君津工場、松下の茨木工場を視察した。特に松下では、創業者の松下幸之助に対して、「わが国の経済発展を助けてほしい」と頭を下げた。そして北京中心部に近い北東部に、松下のための工場用地を確保した。カラーテレビのブラウン管を作る松下北京工場は、日本企業初の中国工場となった。そこから、中国の改革開放政策は始まったのである。

 私はパナソニックの中国事業の総責任者から、話を聞いたことがある。彼は次のように言った。

 「当時は、中国でいまのようなビッグビジネスが展開されるとは思いもよらなかった。とにかく、中国の最高指導者に頭を下げられたので、投資した分だけは取り返そうと考えた。ところが間もなく初期投資分は回収でき、中国事業は拡大の一途を辿った。いまや派遣されている日本人社員だけで1000人を超え、売り上げの14%(約9,000億円)を中国で稼いでいる」

 2008年5月に来日した胡錦濤主席も、わざわざパナソニックの本社を訪れ、「松下がわが国の経済発展に尽くした貢献は計り知れないものがあった」として、感謝の意を述べている。

 ところが9月16日には、パナソニックの青島工場が反日デモ隊によって放火された。いまの「80後」(1980年代生まれ)「90後」(1990年代生まれ)の若者たちに、松下に対する感謝の気持ちなどないのだ。ちなみに北京の日本企業初の中国工場があったところは、いまやうらぶれて、中国のいくつもの零細企業が、細分化して細々と使っている。まさに「夏草や兵どもが夢の跡」という感じだ。

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら