16世紀、印刷技術の台頭とアカデミアの発達で大学は一度、死んでいた!世界的に数が増えすぎた大学は再びネットに殺されてしまうのか

ごった煮でできた東京大学

 東大にて、「大学とは何か(岩波新書刊)」の著書である吉見俊哉東大教授から大学の起源と方向性について興味深い話を伺った。本の中にもあるが、世界で大学は二度生まれ、その間に一度死んでいるという。そして、現代は大学が死んだ16世紀に似ていると言う。

 余談になるが、東大の運営の難しさがよく言われ、その背景として、学部の自治が非常に強く、一体感を持ちにくいとの見方がよく喧伝される。吉見教授から話を聞いてその背景の真偽についてもうかがうことができた。結論から言うと、日本最古の大学であり、日本の最高学府である東大の生成過程はまさに「ごった煮」だったのである。

 東大の設立は明治10年と言われるが、それも正確には怪しい。

 起源が一番古いのが文学部と理学部。それは1684年に設立された幕府天文方。次が医学部。その起源は1858年に作られた幕府種痘所である。続いて、1871年にできた司法省明法寮を起源とする法学部と経済学部。同じく1871年設立の工部省工学寮を起源とする工学部。農学部は1874年に作られた内務省農事修学場が起源。教養学部に至っては1894年にできた旧制一高、いわゆる高校が母体だ。

 しかもモデルもバラバラ。文学部と理学は各々ドイツとイギリスをモデルとされ、医学部はドイツ、法学部・経済学部はフランス、工学部はスコットランド、農学部はアメリカ、教養学部はドイツとアメリカのハイブリッドを各々モデルとする。まあ日本の法律や統治機構も模倣先はバラバラだ。欧米の制度を急いで導入しようとした明治の先人たちの熱意が伝わるが、整合性がよくないのは事実だろう。

 このバラバラさに横串を通そうとしたのが戦後の初代総長、南原繁氏。戦後、旧制一高を東大に取り込んで教養学部としたのだ。吉見教授もその政治力と先見性を高く評価しておられた。

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