読書人の雑誌『本』
『佐渡の三人』 著者:長嶋有
真・佐渡の三人

「佐渡の三人」といえば、なんといっても日蓮、順徳天皇(上皇)、そして世阿弥だ!

 三人とも「とても偉い人」で、三人ともに佐渡島に流刑になった。装丁家の名久井直子嬢は不遜にも「流され三人組」と呼んだ。偉いといっても坊さん皇族芸術家と、ポジションが異なって「キャラがかぶってない」ところなども「三人組」呼ばわりしたくなるゆえんだろうか。

 順徳は(呼び捨ての僕こそ不遜だが)承久の変で政争に敗れ、佐渡に配流された。日蓮は浄土教や幕府を批判したことで佐渡行き決定。世阿弥も将軍の寵愛を受けて出世したが代替わりで新将軍に疎まれ、と言われている。

 とても雑な把握だけども、それぞれの渦中(政争などの激しさ)をみるに、なぜ殺されなかったのか、とも思う(殺す、殺されるということが今よりずっと簡単に起こった時代だ)。変転しうる状況の中、彼らにはまだ使える可能性があったのか、あるいは世論なり誰かへの影響を鑑みて、敵は「殺せなかった」のだろう。殺せない、つまり死んでもらっては困るが、いてもらっても困る。だから流される。

 佐渡は、そういう「影響力があるけど負けた人 / 逆にいえば負けたけど力のある人」の集う場所だった。

 僕は流刑、島流しというと、ものすごくか弱いイメージを抱いていた。さながら「高瀬舟」のような移動を。元天皇が枯れ葉のような小舟で、たった一人できたのだ、と。

 そんなはずはない。大勢を帯同したはずだ。特に元天皇なんか「ほとんど街が移動するよう」だったのではないか、とある親戚はいったが、まったくそう思う。



◆ 内容紹介
物書きの「私」は、ひきこもりの弟、古道具屋の父とともに佐渡への旅に出る。目的は、祖父母の隣家に住む「おばちゃん」の骨を、郷里の墓に納骨すること。ところが、骨壷をユニクロの袋に入れて運ぶくらい儀礼にかまわぬ一族のこと、旅は最初から迷走気味で・・・。表題作「佐渡の三人」に始まり、「戒名」「スリーナインで大往生」「旅人」と、一族の佐渡への「納骨」の旅を描く連作長編小説。