読書人の雑誌『本』
『金の仔牛』 著者:佐藤亜紀
~十八世紀の表層~

 二〇〇六年、ザルツブルク音楽祭で上演された、アーノンクール指揮/クラウス・グート演出の「フィガロの結婚」は、心ある人々の大顰蹙を買う、ある種の名上演であった。

 オペラの舞台上演では時々これが起こる。例えば一九七六年バイロイトのブーレーズ/シェローによる「ニーベルングの指輪」がその古典的な例だ。

 NHK-FMでの年末の放送に耳を傾けていた中学生の私は、終演後の床を踏み鳴らす音とブーイングの声に驚き、かつ恍惚とした---これほどまでに熱烈な賛否を巻き起こすものが詰まらない訳がない。今日、録画で見ると極めて洗練された美しい舞台としか言い様がないのだが、当時の観客にとってこの再解釈は極めてショッキングであった。

 再解釈など今では珍しくもなくなり、滑って目も当てられないという例も山のように目にし、オーソドックスな演出も「演出の時代」と録画鑑賞の習慣の普及による歌手の演技力の異様なまでの向上によって別物になった今日、ではグート演出の「フィガロ」の何がそんなに問題だったのか。

 DVDのメイキングで演出家自身が説明している---これはストリンドベルイだと。ある意味十八世紀的な軽妙洒脱の粋とも言うべきモーツァルトの「フィガロ」を、「令嬢ジュリー」ばりの不気味な性の力のドラマとして提示したかった、ということだろう。

 実際、シュザンヌと伯爵はすでにずぶずぶの関係、伯爵夫人もそれを知っており、シュザンヌはフィガロとの結婚でその関係を断ち切りたがっているがどちらも未練はたらたらで、かつ、何か捻れて倒錯した結び付きが伯爵夫妻を結びつけているという、演出が出現させたドラマは、所謂(いわゆる)「フィガロ」とはまるで別物になっている。

 何と無粋な。

 そしてこの、無粋、はある意味、褒め言葉だ。

金の仔牛
著者:佐藤亜紀
講談社刊 / 定価1,680円(税込み)

◎内容紹介◎

18世紀初頭のパリ。追い剥ぎのアルノーは、襲撃した老紳士に逆に儲け話を持ちかけられる。ミシシッピ会社の株を利用すれば大儲けができるというのだ。アルノーは話に乗り、出資者集めを引き受ける。当初300リーブルほどだった株価は翌月に1000リーブルを突破。相場はますます過熱し、アルノーはいまや羽振りのいい青年実業家に---それは、株取引という名の「ねずみ講」だった。ルイ王朝下、繁栄をむさぼる18世紀初頭のパリを活写した傑作長編