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特別企画ドラフト1位で活躍する選手ダメな選手ここが分かれ目だった

2012年10月24日(水) 週刊現代
週刊現代

 谷口氏は現在、大阪・大東市でボーイズリーグの監督として、小中学生に指導を行っている。

「子供たちには、『自分の形を大事にするように』と、よく話します。野茂(英雄)さんもイチローも個性の塊。松井秀喜だって、決して人の話を聞く優等生ではなかった。一流の選手は必ず、自分だけのルールや形を持っている」

 高校時代は向かうところ敵なしでも、プロの世界は魑魅魍魎が集うアクの強い世界だ。「ドラフト1位」という看板は、ときに諸刃の刃にもなる。谷口氏は自戒を込めながら、自らとよく似た「後輩」への期待を語った。

「僕がケガをしたせいもあって、『長身は故障しやすい』なんて言われますが、一方で長身は、間違いなく武器になる。

 大谷君も藤浪君も、現状をプロが見て認められているんですから、ありのままで勝負して欲しい。そうすれば、1年目から活躍できる。教えている子供たちにも言っていることなのですが、『結果が出れば自分の手柄』。でも、でなくても『他人のせいにするな』。僕がプロの世界で学んだことの一つです」

 大谷には、こんな議論もつきまとっている。「投手か、打者か」—投げれば160km、打てば高校通算56本塁打。大谷本人は、「投手一本」を表明しているが、打者としての評価も、いまだ高い。

 '94年のドラフト会議では、近鉄とオリックスが1位で競合指名した北陽高のエース嘉勢敏弘に注目が集まった。嘉勢氏も大谷と同様に、チームのエースで4番。高校では通算で、52本もの本塁打を放っていた。抽選の結果、「外野手」としてオリックスに入団した彼は、現在、阪神で打撃投手を務めている。

「僕は小さな頃からプロで成功することを夢みていました。それも野手として活躍することが高校に入る前からの目標だった」

 しかし当時、オリックスは、田口壮、本西厚博、イチローという球史に残る鉄壁の外野陣を形成していた。

 1年目から一軍に呼ばれたが、出場機会は代打か守備固めばかり。

 伸び悩む嘉勢氏の運命を大きく変えたのが、入団3年目の'97年、春季キャンプでのことだ。当時の仰木彬監督が、「外野手・嘉勢」を、紅白戦のマウンドに上げたのだ。

「最初は冗談かと思ったんです。ただしばらく投手をしなかったせいか、(肩を休めていたので)球も速くなっている。左の中継ぎは希少だし、ケガ人も続いていて、目についたのでしょう」

 その紅白戦で、イチロー、大島公一、ニールを三者凡退に打ち取り、イチローが「そこら辺の投手よりよっぽどいい」と話したことも、事態に拍車を掛けた。

「明日からファームへ行け」

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