第8回 ヘンリー・フォード(その二)
農場用機関車の製造に挫折---
薪小屋にこもり自動車を生み出した

 ヘンリー・フォードは、バルブ工場を九ヵ月で辞めた後、デトロイト・ドライドック社に勤務した。

 同社は、当時デトロイト最大の造船会社であり、そこでフォードは、エンジン工場に配属された。三年間、同工場に勤務した後、一人前の機械工になり、ウエスティングハウス社のデトロイト代理店で、巡回技師として働くことになった。

 フォードは、農民たちが収穫期に、脱穀などのために利用する蒸気機関を備えた農場用機関車(ファーム・ロコモティブ)を、求めに応じて派遣し、整備、修理する仕事についた。

 フォードは農場用機関車を運転し、整備することに飽き足らず、自ら機関車を製造しようと考えるようになった。

 彼が試みたのは、軽量小型の農場用機関車であった。農場で鋤を牽引したり、脱穀したりする事の出来る、安価なファーム・ロコモティブを作れば、大きな需要が見込めると考えたのである。けれども、その場合、ボイラーの設計が難関となる事も、はじめから予期していたという。

 フォードは二年の間、各種のボイラーについての実験をつづけた。その結果、彼が学んだのは、軽量の機関車を作るためには、ボイラーを小さくしなければならない事、そのためには、きわめて頑丈な、つまりは高い圧力に耐えられるものでなければならない事、そしてそれは当時の技術では実現できない事を認識せざるをえなかった。

 軽量で安価なファーム・ロコモティブを作るという企みに挫折したフォードは、父の経営するディアボーンの農場に帰った。

 父は、フォードが機械工としてのキャリアを断念するのならば、四十エーカーの土地を提供しよう、と申し出たのである。

 もとよりフォードは、エンジニアとしてのキャリアを手放すつもりはなかった。捲土重来を期すに際して、フォードは父が提供してくれる農地を、新しい工場の敷地にしようと目論んだのである。

 フォードは木を伐採し、小屋を建て、工場の体裁を整えた。

 そして隣接する農場の娘である、クララ・ブライアントと結婚したのである。フォードについての毀誉褒貶は激しいが、妻クララについては、どの伝記作者も、その人格の高さを認めている。