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山中伸弥の教授「青春フォト&爽快秘話」
ノーベル賞受賞に日本中が沸いた!

京都大学iPS細胞研究所での山中教授。初代所長を務める。3~5階は山中教授の発案で仕切りがなく開放的な実験スペースとなった〔PHOTO〕大西成明

修学旅行での「恋愛事件」

「研究では失敗はしょっちゅうで、泣きたくなることもある。家族の支えがなければ研究は続けられなかった」

 ノーベル医学生理学賞を受賞した山中伸弥・京都大学教授(50)は受賞翌日の10月9日、会見に同席した妻で皮膚科医の知佳さん(50)の前で、家族への感謝の言葉を並べた。二人は大阪教育大学附属天王寺中高と同級生で、山中教授が神戸大学医学部、知佳さんも関西医科大学に進み、24歳で結婚した。

 まさに絵に描いたような研究肌夫婦だが、中学・高校と同級生の平田修一氏が、二人の〝青春秘話〟を明かす。

「高3の修学旅行で北海道に行った時、自由行動の後、山中と知佳さんだけが出発時間になっても戻ってこない。バスが出発できなくて騒いでいたら、二人で仲良く自転車を漕いで帰ってきた。『すまん、すまん』と謝りながらバスに乗り込んできましたが、皆にヒューヒューと冷やかされてました。懐かしいですね」

 やはり中高と同級生の、世耕弘成参院議員もこう言う。

「中学の時、ボクが生徒会長、彼が副会長に立候補しました。二人で学校を改革しようという気持ちでしたね(笑)。彼は人望があったし楽勝でした。ボクは英語クラブに所属していたんですが、そこに知佳ちゃんがいた。彼女は中学時代に高松宮杯弁論大会の大阪代表に選ばれたぐらいで、英語力は抜群です」

 山中氏は中高と柔道部、大学の医学部ではラグビーに打ち込んだ。そこで何度も骨折したことから、整形外科の道に進んだという。が、手術がヘタで、ついたあだ名が「ジャマナカ」。臨床医を諦めて基礎研究の道に進み、31歳の時、大阪市立大大学院医学研究科から米グラッドストーン研究所に留学した。世耕氏が言う。