【ノーベル賞残念対談】内田樹×平川克美
「なぜ世界中の人が村上春樹の小説にアクセスするのか」

平川 水村美苗さんが書いていたけど、ジョン・アップダイクが英訳された漱石はどこがいいのかさっぱりわからないって言っていたらしい。漱石は日本が近代化していくプロセスのなかでの「近代的自我」をつきつめたわけで、一級の「国民文学」だけど世界性のある物語作家じゃない。

内田 誤訳がなかったのが谷崎潤一郎と村上春樹。実際に『羊をめぐる冒険』(82年)の冒頭のフランス語訳を僕がもう一度日本語に重訳してみたら、村上春樹の原文とほとんど一言一句違わなかった。

平川 君の文体が村上文体という面もあるけどね(笑)。

内田 でも、誤訳の余地がないというのは希有なことだよ。

平川 それは、村上春樹が書く一つ一つの言葉はものすごく平易だからだね。あまり多義的な意味を含ませないし。村上文学は、詩みたいな両義的な言葉を積み重ねていく書き方ではなく、平易な文体で一つの世界を創っていく。それはフェアなやり方ですよね。

内田 そう。現実に存在する素材だけを組み合わせて、現実ならざるものを創り出している。料理に例えると、冷蔵庫にある豚肉ともやしだけで見たことのない不思議な料理を作ってしまう。「なんで豚肉ともやしだけでこんな世界ができるのか」という驚きがね。

平川 『1Q84』(09年)の冒頭のところで、246(国道246号線)の上を走る高速道路が出てくる。僕なんかあそこを毎日通っているわけですよ。

内田 あれは引き込まれるね。本当に池尻大橋あたりに異界に迷い込む降り口がありそうな気がするもの。

平川 で、パッと上を見たら月が二つ出ていたという展開にゾクゾクする。ああ、パラレルワールドなんだ、というね。

内田 SFなら高速宇宙艇とかモビルスーツとか「ありえないもの」が出てきて、それはそれで楽しめるんだけど、村上作品にそういうものは出てこないでしょ。全部現実世界にありそうなもので、それだけで異界を作り上げてゆく。

平川 だから翻訳がうまくいくんですね。平易で現実的な言葉を置き換えるだけだから。そこに立ち現れる「世界」は見たことのないものだけど、国境も言語も超えた普遍性を持っている。