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感動読み物 がん宣告 患者になって初めて分かった病気の恐怖患者の気持ち 自分ががんになった名医たちの物語

「がんという病気の知識がある」のと、「がん患者の苦しみを知っている」のとは似て非なるもの。自身が病魔に冒されることにより「がんの真実」を知った医師たちの、絶望から再生までの闘病記録。

娘に「死ぬの?」と聞かれた

 がんを宣告されたら、決して逃れられないことがある。それは、頭で理解はしていてもどこか他人事だった「死」と、否応なしに真正面から向き合わされるということだ。その残酷な現実の前では、一般人も医者も関係ない。

「闘病中、家族に習字で『生きる』と書いてもらいました。それを病室に貼って眺め、気合を注入するんです。当時、娘たちは小学生で『がん』の意味もよくわからなかったのでしょう。『お父さん、死ぬの?』と聞かれたので『うん、死ぬかもね』と答えました。娘たちはそれを聞いても、きょとんとしていました。それが逆に苦しかったですね」

 こう語るのは、千葉県がんセンター泌尿器科部長の植田健医師(50歳)だ。発症は'06年3月。前日まで普通に手術をこなしていたが、深夜、「身の置き所のないだるさと全身の痛み」に襲われ、勤務先の病院を受診した。血液を調べると、正常値4000~1万個の白血球が8万3000個にまで増殖していた。5年生存率40%の急性リンパ性白血病だった。

「告知を受けて、目の前が真っ暗になりました。とっさに、『あぁ、自分は死ぬんだな』と思いましたね」

 骨髄移植をするためにはがん細胞だけではなく、健常の骨髄細胞もすべて殺さなければならない。ステロイドや抗がん剤の治療、移植前はさらに大量の抗がん剤投与と放射線の全身照射。文字通り骨身を削る、がんとの戦いが始まった。

「移植は型が合わないとできません。先に家族を調べましたが合わず、骨髄バンクで探してもらいました。私の場合は運良く3ヵ月ほどで1500人以上合う人が見つかりました。実際に移植を受けられたのは入院してから半年後です」

 入院中、号泣したテレビ番組があった。前年11月、植田医師と同じ白血病で世を去った歌手・本田美奈子さんの追悼番組だ。

「痩せ細り、坊主頭にバンダナとマスクをつけた本田さんが病室で歌う映像が流れました。ちょうどその時、私も彼女と同じような治療を受けていて、自分の状況と重なって見えた。そんな中でも美しい声で歌う本田さんの儚い姿に、涙が止まりませんでした。私は回復に向かいましたが、彼女は亡くなっています。複雑な思いですよね。本田さんの追悼番組を見ると、今も涙が溢れてきます」

 移植から6年。植田医師は再発もなく、泌尿器科部長として月・水・金は手術に臨み、外来もこなす。

 自身ががんを体験して変わったことがある。

「当然ですが、がん患者さんと同じ目線から物事を見られるようになりましたね。例えばトイレひとつでも、体が動かない時はこういうトイレだと辛いとか、抗がん剤治療をやって気持ち悪い時に歯磨きをしろと言われても無理だとか。些細なことですが、患者さんにとっては大きなストレスを少しでも減らしてあげられる重要な機会です。