中国
村上春樹を抑えてノーベル文学賞を射止めた「莫言」とは、いったいどんな作家か
2006年、仏サン・マロのブックフェアにて〔PHOTO〕gettyimages

 「莫言って誰?」

 10月11日北京時間午後7時過ぎ、中国全土に「莫言がノーベル文学賞受賞」という緊急ニュースが流れた時、多くの中国人たちの反応は、「えっ、村上春樹じゃなかったの?」「莫言って誰?」というものだった。特に若いネチズンたちの多くは、莫言という自国の作家を知らなかったのだ。

 実際、中国国内における知名度で言うなら、莫言よりも村上春樹の方が、はるかに上である。それは、北京の2大書店である西単の「図書大厦」や、王府井の「新華書店」へ足を運べば一目瞭然だ。村上春樹と東野圭吾は別格の扱いでコーナーができており、多くの中国人が、この二人の作品を読んでいる。

 村上春樹の『1Q84』は、中国で日本文学史上最高額の1億2,000万円で、民間の出版プロダクションが落札し、大きな話題になった。東野圭吾作品も、新作が出るたびに、1,000万円を超す高値で、中国語版の版権が落札される。

 ところが、北京2大書店に、「莫言コーナー」は特に設置されておらず、細々といくつかの作品が棚に並んでいるだけだ。莫言の作品を読んでいる中国人は、かなりの文学オタクなのだ。特に、若い人で莫言のファンだという中国人に、私は会ったことがない。それくらい人気がない。中年以上の人は名前くらい聞いたことがあるが、「昔、何か書いていた人でしょう」くらいのイメージしかない。

農村の飢餓と孤独の中で育った少年時代

 莫言は、1955年2月に、山東省の高密に生まれた。この辺りはかなり訛りが強いが、莫言もご多分に漏れず、強い訛りの中国語を話すのを、私もあるパーティの席で聞いたことがある。

 1966年、小学生の時に文化大革命の嵐が吹き荒れ、勉強どころではなくなった。後に莫言は、「私は農村の飢餓と孤独の中で育ち、毎日自分で餃子をこしらえて食べていた」と述懐している。

 莫言は、故郷で農業を手伝ったり、綿花工場の工員をやったりして、少年時代を過ごした。綿花工場時代に一目惚れした女工と、後に結婚し、一人娘がいる。

 莫言は、21歳の時に地元の人民解放軍に入隊した。本が好きだったので、図書の管理人などをしていたという。

 1981年秋、短編小説『春夜雨霏霏』が、初めて河北省保定市の隔月刊雑誌『蓮池』に掲載された。その後、この処女作は、いくつかの文学雑誌に転載された。

 31歳にして、人民解放軍芸術学院の文学部を卒業。この年に書いた『紅高粱』が、メジャー文学雑誌の『人民文学』に初めて掲載された。この作品に着目したのが、若き日の張芸謀で、姜文とコン・リーが主演して映画化され、ベルリン映画祭で金熊賞を受賞した。

 莫言はこの成功によって一躍、メジャー作家の仲間入りを果たした。北京へ出て、1991年に文学系の最高学府である北京師範大学の魯迅文学院で修士を取った。97年には、母親の死を題材にした『豊乳肥臀』が"大衆文学賞"を取り、当時の最高賞金額の10万元(現在の邦貨で約120万円)を獲得した。 

 その後は、数年に一度、作品を発表し、新作が、そこそこ話題になるという状態が続いた。

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