読書人の雑誌『本』
『ヒトはなぜ眠るのか』 著者:井上昌次郎
~睡眠学のなりたち~

 内心の惛暗なるを、名づけて睡となし、五情の暗蔽にして支節を放恣し、委臥し睡熟するを、名づけて眠となし、この因縁をもって名づけて睡眠の蓋となす。…睡眠の因縁をもって一生をして空しく過ごし、所得なからしむることなかれ。
---天台大師智顗(ちぎ)『天台小止観』(六世紀)

 おお寝坊ものよ、眠りとは何であるか?眠りは死に似たものである。おお、それではなぜおまえは、生きながらいやな死人に似た眠りをむさぼるのをやめて、死後に完全な生き姿をのこす作品をこしらえないのか?
---レオナルド・ダ・ヴィンチ『手記』(十六世紀)

 あの穢れのない眠り、もつれた煩いの細糸をしっかり撚(よ)りなおしてくれる眠り、その日その日の生の寂滅、辛い仕事のあとの浴(ゆあ)み、傷ついた心の霊薬、自然が供する第二の生命、どんなこの世の酒盛りも、かほどの滋養を供しはしまいに。
---ウイリアム・シェイクスピア『マクベス』(一六○六年)

 むかしから、睡眠はさまざまなとらえ方をされています。右の先達たちも、それぞれ異なるお考えを表明されているようですね。現代科学の立場からみると、正鵠を得ているのはどなたのご説でしょうか。即答すれば、それぞれに「一理ある」となるでしょう。こんなにも違う見解に対して、なぜそんなふうに結論できるのか、話せば長くなりそうです。ゆっくり根拠を聴いてくださるのなら、講談社学術文庫にこのたび仲間入りした拙著『ヒトはなぜ眠るのか』をごらんください。ヒントがあちこちに見つかるはずです。

 ここでは、核心に迫るつぎの三点を指摘しておきます。天台大師は、眠りに二種類の状態がある、と喝破しています。ダ・ヴィンチは、睡眠は意思によって制御できる、と主張しています。シェイクスピアは、一日周期の眠りが心身を保全する、と要約しています。

 眠りはいわば巨像をかたちづくり、さまざまな視点からさまざまな姿が見えます。それゆえに、その実体についての見解はさまざまでした。こうした睡眠の特殊性・多面性を学際的・統合的に探究して、精密な実像を描こうとする学問があります。睡眠学です。まともな学術領域として正式に学界から認知されたのは、ついこのあいだの新顔です。



◆ 内容紹介

進化の過程で睡眠は大きく変化した。肥大した脳は、ノンレム睡眠を要求する。睡眠はなぜ快いのか?眠りの機能とは?大脳と睡眠、身体と睡眠の関係、睡眠にまつわる病気、睡眠と冬眠の違い、睡眠を司るホルモン、体内時計の働き、短眠者と長眠者の謎、科学的な快眠の秘訣…。最先端の脳科学で迫る睡眠学入門の決定版。最新の知見と新規文献も充実。