読書人の雑誌『本』
『オッサンフォー』 著者:堀田純司
~「中年の青春小説」というジャンルは、現代に花開くのだろうか? ~

 あなたは自分について「大人になった」という実感を、お持ちでしょうか。冴えない中年物書きである私は、まったくそうした気がしません。むしろ「少し前までの大人は、もっとちゃんとした大人だった。しかしなんだこの自分の体たらくは」と、日々感じさせられることが多いです。

 たとえば先日、松本清張さんの『点と線』---これは一九五八年に単行本化された作品ですが---を読み返していたのですが作中、情死を遂げた官僚の兄として、中年の男が登場します。彼は銀行の支店長だそうで、なかなかに傲岸な人物。弟の情死相手の遺族や勤め先の仲間の女中さんに、辛辣な態度をとります。

 彼にしてみれば、社会的地位の高い弟が(今にして読むとノンキャリアの官僚だった節がありますが)料亭の女中さんと心中した事実が受け入れられなかった。そのため遺族につらく当たったわけですが、わずかな描写からその不遜な雰囲気が伝わってきて、しっかりと腹も突き出た立派な大人の姿が目に浮かびます。

 私のような人間が今読み返して意外なのはその設定で、彼はまだ四二歳。「俺より年下かよ!」と思ってしまいます。私だったら、そんな「社会的地位」とか「体面」などを考えて、生活なんかしていない。そんな大人の感性は持っていません。なのに年下の彼は、自分とくらべてなんと大人なことだろう。

 創作物の中だけではありません。思えば自分が子どものころから見てきた社会の先達たちは、もっと大人に見えていたものでした。「あんな立派な大人になることができるのだろうか」と昔から怪訝に思ってはいたのですが、ふと気が付けばまごうことなき中年となった自分の生活を鑑みると、その答えは「まったくなれませんでした」と断言せざるを得ません。

 それはまあ「あなたが、あなただからなんじゃないの」と嘲笑されそうで、確かに階下のそば屋さんにまで「なんの仕事しているんですか」と聞かれてしまうような、昼に起き出してTシャツと短パンで辺りを徘徊している暮らしぶりでは仕方のないところですが、違う職業の同年代や少し上の世代の人たちに聞いても、やっぱりみんな「そうだ。まったく大人になった気がしない」と口々に言います。