メディア・マスコミ
酒井法子氏の復帰、河本準一氏の降板からテレビのコメントとネットの影響を考える

 芸能ニュースが二つ目にとまった。

一つ目は、覚醒剤取締法違反の罪で執行猶予付きの有罪判決を受けていた女優の酒井法子氏が、執行猶予明けの12月に舞台で復帰するというものだ。『碧空の狂詩曲~お市の方 外伝』という時代劇で、彼女は、主役のお市の方を演じるという。(http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20120929/enn1209291450010-n1.htm)

 2009年の事件当時の印象がまだなまなましいこともあってか、テレビや映画ではなく、舞台ということになったようだとの背景解説があった。幾分「ひっそり」した感じがあるとしても、酒井氏にとっては、芸能界本格復帰への道筋ができるわけで、明るいニュースというべきだろう。

 余談だが、酒井氏復帰を報ずるZAKZAKの記事は、文末の「中国での人気も、このご時勢では活用しようがないか」という一文が効いていて、味わい深い。

病気からの復帰とは違うのか?

 もう一つのニュースは、お笑い芸人の河本準一氏が、年収5000万円ともいわれる所得がありながら、「おかん」こと母親を扶養せず、母親が生活保護を受給していた問題の余波で、河本氏が10月改編で、あるレギュラー番組を降板させられるというニュースだ。

 テレビ局には河本氏が出演するたびに300通近い苦情メールが来るのだという。ネットの世界は、情報の伝達が早いのはもちろん、ニュースの消費も早いが、話題によっては粘着的に何度も蒸し返されることがある。(http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20120929/enn1209291446008-n1.htm)

 さて、読者は、この二つのニュースについて、どうお感じになるだろうか。仮に、自分がテレビの情報バラエティ番組のコメンテーターであるとして、たとえば、酒井法子氏の芸能界復帰に対してコメントを求められたら、どうお答えになるだろうか。

 もちろん、考え方や感じ方(特に「感じ方」)は、人それぞれだろう。また、番組にもよるが、テレビはコメンテーターに対して、常に「正しい人」を期待しているわけではなく、大問題にならない程度の問題発言や危うい反応を待っている場合もある。

 とはいえ、どう答えるのが「適切」なのかについては、考えておきたい。

 酒井法子氏の芸能界復帰に関しては、大原則として、芸能関係の仕事を含めて、どんな仕事をするのかについては、彼女の権利だ。「彼女が何をするかについては、彼女の自由なので、復帰が悪いことだとは思いません」という建前を確認しておくことは適切だろう。

 ネットでとびかうコメントを見ていると、酒井氏の場合は、「犯罪」からの復帰なので、これを「病気」からの復帰のようにあっさり認めるのは(道徳観上)問題だという趣旨の意見もあった。

 病気と犯罪は別だという話は一見もっともらしいが、罪を犯した人だとしても、法的に自由で、刑期などのペナルティを終えた人物の活動を、他人が制限(あるいは意図的に邪魔)しようとすることは、それこそ、道徳上問題だ。

 わが国に限らず、人間は、自分が好ましくないと思う人間の不幸を願い、時には、その実現のために、自分が、たとえば「世間」をけしかけようとする感情が湧くことが、しばしばある。

 自分が「悪い」(あるいは「嫌いだ」)と思っている人物の失敗や不運を「いい気味だ!」と思った経験のある人は、筆者も含めて、少なくはあるまい。

 しかし、これは、少なくともマナー的には(おそらく倫理的にも)、表出を抑制すべき感情だ。また、フォーマルな「社会」、あるいはもっとインフォーマルな「世間」でこうした感情が抑えられず、たとえば過去に罪を犯した人の仕事への復帰を強く阻むことがあるとすれば、これは前科のある人物の前途を塞ぐことによって、かえって社会を不安定化しかねないリスクも孕む。

 「ノリピーの復帰ぐらいで、大げさな」と思われるかも知れないが、法律に反しない限り、人の職業選択は自由という原則の確認は大切だ。

 さて、それを踏まえて本当に難しいのは、この先のコメントだ。

「酒井さんには、心を入れ替えて、今度は頑張って欲しい」というくらいのコメントなら、面白くはなくても無難だ。が、本心ではそう思っていない場合はどう言えばいいのか。

 筆者個人の、酒井氏に対する感じ方を率直にいうと、一連の事件で見せた酒井氏の見かけによらない「悪い胆力」(警察と長時間わたりあったあげく、「薬抜き」の目的とも思える逃亡をした)、事件後一転しての謝罪や「介護」に興味を示すなどのできた優等生ぶりに示された「打算」のイメージが強烈だった。

 今でも、酒井氏の姿を見ると、「見たくないものを、見てしまった」という気分になるだろう。だから、筆者個人は彼女を見なければいいのだが、彼女についてこうした個人的な感想を言うことは許されるのだろうか。

 もちろん、たとえば、本人がどんなに悪い人物でも、女優として上手ければ、大いに活躍すればいい。自分は、酒井氏の活躍を期待する、という意見の人がいてもおかしくはない(これも説得力のある意見だ)。

 自由にコメントしていいとしよう。「過去に罪を犯していても、現在法的に問題がなければ、職業は自由なので、酒井さんの芸能界復帰は、本人の意思として尊重すべきだと思います。しかし、私個人の感想を言うとすれば、私は、今、酒井さんを見たいとは思いません」とでも答える事ができれば、筆者は言いたいことを十分に言ったことになるだろう。

 しかし、番組前の打ち合わせで、「たとえば、こんなコメントで大丈夫ですか?」とプロデューサーに確認すると、「分かりました。この件ではないニュースにコメントを頂きましょう」という展開になる場合がありそうだ。

 筆者なら、「あるいは、前半の話だけで、まとめたほうがいいですか」と選択的な質問で番組の方針を問うかも知れない。返ってくる答えは、ケースによって様々だろう。

 ではwebの場合、どうか?ネットの発達によって、テレビ・新聞・雑誌といった既存メディア以外にも、意見を短期間で多くの人に伝える手段を、かつてよりも格段に多い人々が持つようになった。今日の個人は、影響力の点では、時には一人一人が小さな放送局を持っているようなものだ。

 芸能でも、食べ物でも、「人気」が売上に影響するテーマに関して、個人の本音を言えるか言えないかの「限度」や「ルール」は、まだ明確ではない。
たとえば、Amazonのブックレビューは、対象である本のセールスに少なからぬ影響を与えているだろう。

 すべてを法律レベルで決めなくてもいいが、法律レベル、慣習レベルのそれぞれで、「意見」はどのくらいまで言ってもいいのかに関するある程度共通の基準を模索する必要があるだろう。

 さて、河本準一氏の場合は深刻だ。彼の番組降板に、多数の抗議メールが影響したのなら、これは、「それで問題なし!」なのか、「仕方がない」なのか、「それではいけない!」なのか。

 現実的な問題として、テレビ局は、この種の抗議には案外弱い事が多い。地上波の番組の視聴者の数を考えると、300人はごく小さな数だが、「視聴者の声」は無視できないとの建前の下で抗議が毎回報告されると、影響があってもおかしくない。筆者としては、抗議メールの送信者に、そのような行動を取って欲しくはないが、メールの先が番組のスポンサー企業であって、スポンサー企業が抗議に反応した場合なら、改編期でなくても、出演者の降板が起こる場合が十分あるだろう。

 しかし、いうまでもなく、河本氏は、現在法的には問題がない。それなのに、呼びかけられた「視聴者の声」で、彼の職場が奪われるのは行きすぎだろう。

 河本氏が選んだ「芸人」という職業は、そういう職業なのだ、というのは、現実認識として一面正しい。河本氏も、自分が「人気商売」であることの覚悟をもともと持っているだろう。ただし、河本氏が困るような状況を、ネットで呼びかけるなどの手段で他人に対して、意図的に「作り上げよう」というのはいかがなものか。

 こちらは、多分、法律ではなく、少なくとも放送局側には慣習レベルのルールが形成されるべき問題だと思う。河本氏の場合であれば、放送局は、こうした抗議の声に対して、「声を聞かないわけではないが、判断は別だ」という態度をもう少し明確に打ち出してもいいのではないだろうか。

 酒井法子氏の場合も、河本準一氏の場合も、ともに大原則は、個人の職業、ひいては自由を制約すべきではないということだろう。ただ、酒井氏のケースで見たように、その原則の先には、曖昧で難しい問題が残っている。

 たとえば、芸能人でも、チェーン店のコーヒーでも、ハンバーガーでもいい。ネガティブな感想を友達に話すのはOKだろう。個人的なブログに書くのも、事実誤認がなければ構うまい。しかし、書いている本人が知名度のある人でアクセス数の多いブログ、あるいはツイッターのようなもので、例えば「○○○○○○○の珈琲コーヒーは値段の割に不味いと私は思う、なぜなら…」と書いた場合、コーヒー店の営業に影響が出る可能性がある。これは、いいのか。

 そして、ブログがいいとすると、テレビならどうなのか。いまだ強い影響力を持つテレビで不味いと断じられれば、その反響によって店がつぶれてしまうことだってあるかもしれない。

 ネットの世界は「人が平等につながっている」というフィクションを大切にする文化なので、「アクセスの多い人」、あるいは「有名人」とそうでない人を区別したルール作りは、慣習レベルであるとしても馴染まない。発言の匿名性が、影響力と責任それぞれの大きさバランスを損なっている面もある。

 どのようなルールがいいのか、もしルールを作るとどのような影響があるのか、大いに考えてみる価値がありそうだ。

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら