木暮太一の「経済の仕組み」

アダム・スミスの「生きるヒント」 第16回
「経済発展がもたらすもの」

2012年10月04日(木) 木暮 太一
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第15回はこちらをご覧ください。

 富を追求するのは"軽薄な人"で、本質を見ている"賢人"必要以上の富を得ようとしません。こう聞くと、スミスは経済発展を"不要"もしくは"悪"って考えていたのか? と感じてきます。

 しかし、そうではありません。スミスは、経済発展を"必要"かつ"善"と捉えています。むしろ『国富論』を書いた目的は、"富の源泉を明らかにすること"で、それを明らかにしたうえで経済発展をすることが目的でした。

 個人が富を追求することに反対しながら、国全体の経済発展には賛成していたわけで、一見すると矛盾した主張にも思えます。しかし、そこには意外な思想があったのです。

 「必要以上の富を得ても幸せになれない」

 「必要以上の富を追求するのは『軽薄な人』」

 としながらも、スミスはなぜ経済発展が必要だと感じていたか、振り返ってみる必要があります。

スミスが生きた時代

 スミスが生きていたのは、18世紀のイギリスです。学校で習う世界史ではこの時期は産業革命の時代で、イギリスの経済が革命的に変化・成長したことになっています。しかし実際には、産業革命が本格的に経済を変えるのは19世紀に入ってからです。たしかにスミスが生きていた時代に革命的な発明が生まれてはいましたが、それが実用化されるのはまだまだ先の話だったのです。

【スミスの年齢と産業革命の進行具合】
1759年: 『道徳感情論』出版 (スミス36歳)
1767年: ジェニー紡績機発明 (スミス44歳)
1769年: 水力紡績機発明 (スミス46歳)
1776年: 『国富論』出版 (スミス53歳)
1776年: ワットの蒸気動力機関が営利活動で使われる
1785年: カートライトが蒸気機関を使った力織機を発明

 先にも触れましたが、当時のイギリスは社会も経済も未成熟で、世の中に貧困があふれていました。職がなく、最低限の暮らしもおぼつかない人が人口の10%以上。単に失業率が"10%以上"なのではなく、最低限の暮らしができない人々が"10%以上"でした。

 スミスはこの社会状況を見て「改善されなければいけない」と考えていました。そして、この状況を改善させるために"経済発展"が必要だと考えました。

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