中国の属国化を危惧し急速に自由化を進めるミャンマー。日本企業はこの国をアジアの戦略拠点にできるか!?
ビルの屋上から見えるヤンゴンの街(筆者撮影)

 筆者は今年の7月下旬から8月初めにかけてミャンマーに視察に行った。多くの日系企業や民族資本の企業などを訪問し、現地の情勢をヒアリングした。その結果、見えてきたことは、ミャンマーでは中国の「属国化」が危惧されており、インドシナ半島とインドに挟まれた同国は、安全保障や地政学的な面で戦略的に重要な国になっているということだった。

 「尖閣国有化」を受けて日本との関係が悪化している中国は一方で、南方への遠洋進出を計画しており、ベトナムとは南沙諸島で、フィリピンとはスカボロー礁でそれぞれ領海を巡る摩擦が続いている。

 今年7月にあったASEAN特別外相会議では、ASEAN域内のカンボジアなどの親中国派と、領海問題で争う反中国派が南シナ海での紛争についての見解で対立したとされる。9月25日に中国初の空母「遼寧」が就航したことで、反中派のベトナムもフィリピンも警戒を一層強めるだろう。

 ただ、たとえ中国が空母を保有するなどして南シナ海への進出する能力を高めたとしても、狭いマラッカ海峡を通過しなければインド洋に出ることはできず、さらに補給基地もないため、安全保障上の力学が大きく崩れることはないと見られている。

 しかし、ミャンマーと中国は陸続きである。すでに中国はベンガル湾に面したミャンマーの地方都市チャウッピューに軍港を建設する計画がある。そうなれば、中国はマラッカ海峡を通過せずにインド洋への出口を獲得できる。南下政策を進めた帝政ロシアの「旅順港」のような位置づけになりかねない。中国の軍艦が中近東やアフリカまで簡単に出没できるようになるかもしれない。このためミャンマーは安全保障上、注目され始めているのだ。

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22年にも及んだ軍事独裁政権

 ミャンマーのこれまでの歴史などについて簡単に説明する。以下の年表を参考にしていただきたい。

・1948年: ビルマ共和国として英国から独立
・1962年: ネ・ウィン軍最高司令官がクーデターで政権掌握
・1974年: 革命評議会が人民議会に政権を委譲、ネ・ウィン大統領就任。国名をビルマ連邦社会主義共和国に
・1988年: クーデターにより国軍が政権掌握、社会主義政権崩壊
・1989年6月: 国名をミャンマー連邦に変更
・1989年7月: アウンサンスーチー氏が自宅軟禁
・1990年: 複数政党による総選挙が実施。スーチー氏の国民民主連盟(NLD)が勝利したが、民政移管されず、同氏の自宅軟禁が続く
・1992年: タン・シュエ上級大将が国家法秩序回復評議会(SLORC)議長に
・1993年: 新憲法制定のための国民会議を開催
・1997年7月: ASEANに正式加盟
・1997年11月: SLORCが国家平和発展協議会(SPDC)へ改組
・2003年5月: NLDと軍政翼賛組織が武力衝突。スーチー氏が政府当局に拘束され、3回目の自宅軟禁。米国が経済制裁を開始
・2004年: 新憲法制定のための国民会議を再開
・2005年: 首都をヤンゴン市北約300キロのネピドーに移転すると発表
・2007年: 燃料価格値上げに対する10万人規模のデモが発生
・2008年5月: 大型サイクロンが直撃して死者・行方不明者は約14万人。新憲法草案採択のための国民投票も実施
・2010年11月: 総選挙実施、スーチー氏の軟禁を解除
・2011年3月: 民政の新政府が発足、テイン・セイン大統領就任
・2011年11月: クリントン国務長官が訪問、スーチー氏と会談
・2012年1月: 丸紅がネピドーに外資で初の事務所を開設
・2012年7月: 米国が経済制裁を解除
・2012年8月: 外務省や経団連等が「ミャンマーに関する官民連携タスクフォース」を創設
・2012年9月: スーチー氏が訪米してオバマ大統領と会談

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