第4回 渋沢栄一(その一)
携わった営利事業は五百余り。
日本型資本主義の始祖に訪れた「転機」

 近代における、日本の経営者像を考えた時、まず最初に指を屈するべきが、渋沢栄一である事には異存がないだろう。

 公共道徳としての儒教を重んじた、浮利を追わず、社会に貢献する日本型資本主義の始祖とされる渋沢は、経営者としてのみならず、思想家としても高く評価され続けている。
山路愛山―徳富蘇峰の盟友として、民友社で活躍した―は、「一にも渋沢さん、二にも渋沢さん」と簡潔にその気品と人格を賛美している。

「明治維新より明治十年までの日本の経済界は、唯だ零細の資本のありしのみ。尤も旧幕時代の遺物たる金持の世家、三井、住友、鴻池など云ふものは、其頃にても巍然として財界の雄たりしに相違なかりしかども、此等は大抵維新の大暴風雨に辛うじて難船を免れたるものゝみにて、未だ元気を恢復せず、其外は翁(引用者注、渋沢栄一のこと)の所謂卑屈なる町人のみなり。(中略)井上馨は或時代に日本町人の総元締なりき。政府の大蔵大臣、国債を募らんとする時、(中略)少々の無理は資本家にも聞いて貰ひたしと思ふときは、必ず井上大明神を拝み、其託宣を請ひ奉れば、大抵の資本家は大明神の威に恐れて金の用も勤めたり。(中略)井上大明神の御機嫌に逆らひては恐ろしきこともありし故、大抵は其号令に従ひたるものなれども、翁は何処までも親切の世話人にて、畢竟頼母しづくにて資本家の間に奔走したるものなり。されば井上が日本の町人の総取締たる威は夏日の畏るべきが如く、翁の日本町人に世話役たり総代人たる恩は、冬日の愛すべきが如くなりしとも謂ふべき歟」
(白石喜太郎『渋沢栄一翁』)

 長い引用になってしまったが、長州閥の元老として財界に君臨した井上馨の強面ぶりを「夏日」に例える一方、渋沢を「日本町人」の「世話役たり総代人たる」と論じた、愛山の語りぶりは、説得力に溢れている。

 渋沢栄一の伝記資料五十八巻を編纂した土屋喬雄―東大経済学部教授で、日本資本主義論争では労農派の論客として活躍し、人民戦線事件で起訴されて大学を追放された(戦後、教授として復帰)―は、渋沢栄一が生涯に携わった営利事業は五百余り、社会事業や福祉などの非営利事業は、六百余と算えている。