羽佐間正雄 第3回 「東京オリンピック、男子棒高跳びを9時間続けて中継した後のトイレ、あの開放感は生涯忘れられません」

撮影:立木義浩

第2回はこちらをご覧ください。

シマジ 羽佐間さんはNHKには昭和何年に入社したんですか?

羽佐間 昭和29年です。アナウンサーにはその頃、期の制度がありまして第29期です。テレビの本放送がはじまった翌年のことでして、とにかくアナウンサーの数が足りなかったのか、NHKが2次募集をかけていたんです。そこへ運良くぼくも潜り込めたんですね。

 なぜかお寺の出身者が多かった。志村正順さんも若いときは木魚を叩いてお経を詠んでいたので、腹式呼吸ができていたんでしょう。でもぼくは一番こき使われたほうでした。

シマジ たとえば?

羽佐間 ワールドカップの実況中継でアルゼンチンに渡りましたが、その間にブラジルの移民70周年記念も中継しろと1人で行かされましたからね。海外遠征といっても、いまと違って休暇など取れませんでしたから、帰国した翌日には実況中継をやっていましたよ。

立木 世の中がそういう時代だったんでしょうね。おれもいっぱい働かされましたよ。シマジだって『週刊プレイボーイ』を舞台に馬車馬のごとく働いたんだろう?

シマジ 週に1,2回の徹夜は当たり前の時代でしたね。