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子供たちの「遺書」名古屋市高2女子飛び降り自殺「もうつかれたの。最後のわがままきいてね」

「いじめを受けていた時に死んだわけじゃないんです。いじめられた時の記憶が、美桜子を自殺に追い込んだんです」

 こう涙ながらに話すのは、'06年8月18日に亡くなった、高橋美桜子さん(当時16)の母、典子(54)さんだ。美桜子さんは当時、愛知県豊田市の私立南山国際高校に通う2年生。過去のいじめの影響で突然パニック症状が現れるなどの障害が出て、治療中に自宅マンションの8階から飛び降りて自ら命を絶った。

 搬送された病院で美桜子さんの遺体と対面した後、自宅に戻った典子さんは、破かれたノートに書き残された『遺書』を居間のテーブルで見つけたという。

〈まま、大好きだよ。みんな大好きだよ。愛してる。でもね、もうつかれたの。みおこの最後のわがままきいてね。こんなやつと友ダチでいてくれてありがとう。本当にみんな愛してるよ。でも、くるしいよ〉(引用原文ママ)

 美桜子さんは、カナダ人の父親と典子さんとの間に生まれた。両親の離婚後、4歳の時にカナダから帰国し、その後は祖母のいる愛知県刈谷市で3人で暮らしていた。'02年、典子さんが英語科教員として勤務する市邨学園短期大学(現・名古屋経済大学短期大学部)の系列の、市邨中学に美桜子さんは入学する。ところが、1年の夏休み頃からいじめが始まり、同級生8人から「うざい」「きもい」「死ね」などの言葉を日常的に投げつけられるようになる。3学期にはスカートを切られる、靴の中に画鋲を貼り付けられるなど、いじめはさらにエスカレートしていった。当時の美桜子さんの様子を、典子さんが苦しそうに振り返る。

「いじめられている美桜子を見かねて、担任に何度も相談しましたが『分かりました』という生返事ばかりでいじめを放置され続けていました。1年の終業式の朝も嫌がらせを受け、美桜子は下校途中に泣きながら『我慢してきたけど、もう市邨だけは絶対嫌だ』と、私の携帯に電話をしてきました」

 '03年4月に岩倉市立岩倉中学に転校するが、授業を受けている最中に突然パニック状態に陥り「みんなが死ねって言ってる!」と叫ぶなど、異変が現れた。市邨中学時代のいじめの光景がフラッシュバックし、身体が動かなくなるなどの症状が美桜子さんを襲い始めたのだ。心療内科に通いPTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断されて薬を常用するようになったが、症状は安定せず2学期からは不登校になった。'04年2月には、外国籍や帰国子女だけを受け入れている中高一貫校である南山国際中学校へ転校。しかし、その後も多重人格が現れる解離性同一性障害を発症し、自殺未遂を繰り返す。そしてついに美桜子さんは、辛い過去の記憶に耐えかねて、'06年8月に、16年という短い生涯を終えてしまったのである。

〈市ムラのやつなんかにはまけないゾ。◯◯◯◯(生徒名)、○○○○(生徒名)・・・・・・・・・・・・・最後に××××(教師名)!! おぼえとけ! お前なんかギタ×2にしてやる〉

 これは美桜子さんが中学2年の時に、テスト勉強のノートの表紙に書きつけた、いじめ加害者8人と担任への怒りの落書きだ。典子さんは娘の自殺後に、遺品を整理していてこのノートを見つけ、娘の自殺は市邨中学時代のいじめが原因と確信。娘の死の真相を究明しようとしたが、その道のりは決して平坦なものではなかったという。学校側の対応について、典子さんが怒りを露にして語る。

「いじめの実態を調査してほしいと市邨中学にお願いしたのですが、聞き入れてくれませんでした。学校はいじめを認めるどころか、『線香を上げに行けば学校がいじめを認めたことになる』と謝罪すらしないんです。話し合いは、平行線を辿ってしまいました」

 自殺の民事訴訟の時効が迫り切羽詰った典子さんは、時効直前の '09年8月11日、市邨学園、理事長、校長、担任、そして加害生徒8名と保護者15名に対し、損害賠償を請求する民事訴訟を名古屋地裁に起こした。

 典子さんが起こした裁判は、いじめが4年も前に遡るため、事実認定が困難と思われた。だが裁判では、加害者の実名が記されたノートがあり、専門医による美桜子さんの診断書や証言、また、生前に典子さんが何度も担任や学校に相談している事実など、母が集めた数多くの証拠が功を奏した。

「'11年5月20日に裁判の結果が出て、名古屋地裁はいじめの事実と自殺の因果関係、さらには自殺予見可能性を認め、学校側の被告全員に責任があるという判決が下されました。いじめから4年も経った自殺に因果関係を認めるのは、『画期的な判決』だったと担当の弁護士の方も喜んでいました。判決を聞いた時は、本当に嬉しくて涙がこぼれました・・・・・・」(典子さん)

 母の執念が勝ち取った勝訴だった。

 しかし、安心したのも束の間。判決はこれで確定とはならなかった。校長、担任を含む学校側は一審の判決を不服として即日、名古屋高等裁判所に控訴したのだ。加害生徒と保護者とは裁判の終盤で金銭による和解が成立していた。つまり、和解により加害生徒たちは実質いじめを認めたということにほかならないが、学校はその事実を正面から受け止めようとしなかったのだ。

見てみぬふりしないで

 市邨中学校を始め名古屋経済大学など幼稚園から大学院までを経営する、市邨学園グループの責任者・末岡熙章理事長は、本誌の取材に対し辟易したような顔でこう言い放った。

「(美桜子さんは)うちの生徒ではなくなっているし、(加害)生徒たちはいじめではないと証言していますから、謝罪と言われてもね。いじめというよりいたずらです。(一審)判決が(いじめを)認め敗訴しても私たちとしては(いじめは)なかったとしか言えない」

 あくまでも理事長は、いじめがあった事実を認めず、頑なに学校に非はないと繰り返した。

 南山国際高校1年の時美桜子さんは、中学時代に受けたいじめを振り返り『自分との戦い』と題する作文を書き残している。

〈いじめを受けた人は、深い心の傷を負い、いじめを思い出しては、何年も苦しむのです。(中略)何故、昨日まで仲良くしていた友達がそんな事をするのか・・・。裏切られた気持ちと自分の身に何が起こっているのかが分からない気持ちでいっぱいになりました。そして、いじめはどんどんエスカレートしていきました〉

 この作文を書いた1年後に美桜子さんは自らの命を絶った。生きたいという強い思いが作文の最後にこうした文言で綴られている。

〈いじめは人の心を殺します。絶対にあってはいけないものです。この世からいじめがなくなる事を私は一生願い続けます。(中略)私達一人一人がいじめの悲惨さについて考え、いじめを絶対に許してはならないと強い気持ちで立ち向かうこと、それがまず第一歩だと思います。もしあなたがいじめに遭遇したら見てみぬふりをしないで下さい〉

 控訴審の判決はまもなくだと思われるが、娘の書き残した『自分との戦い』を引き継ぎ、典子さんの〝母の戦い〟はまだまだ終わらない。

 文部科学省は8月31日、いじめ対策総合推進事業を来年度から実施する方針を決めた。国や地方自治体が、いじめ問題について関心を高めるのは喜ばしいことだが、それだけではいじめは無くならない。加害者や学校側の「ただのいたずら」という安易な意識が拭われない限り、いじめの被害者は後を絶たないのだ。

「フライデー」2012年9月21日号より

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