[プロ野球]
山村裕也(NPB審判員)「1年生審判の苦悩」

 日本に野球の独立リーグができて今季で8年目となる。リーグを経てNPB入りし、活躍しているのは選手だけではない。コーチや裏方のスタッフなどで華やかな舞台を支えている人材も数多くいる。

 今季、NPB審判員として採用された山村裕也もそのひとりだ。強肩強打のキャッチャーとして昨季は四国アイランドリーグPlus・徳島インディゴソックスのリーグ優勝に貢献。リーグチャンピオンシップでMVPを獲得した25歳は今、2軍の試合で駆け出しの審判として奮闘している。審判の道を選んだ理由や、新しい仕事に対する思いを訊いた。

ヒザのケガで父と同じ職業に

――審判に採用されて半年以上が経ちました。プレーする立場から、ジャッジする立場に変わっていかがですか?
山村: キャンプから先輩の審判にいろいろと教えてもらって、ようやく少しずつ慣れてきた感じがします。今はイースタンリーグの公式戦や、フューチャーズの試合、プロアマ交流戦で主審、塁審をローテーションで担当しながら審判の基本を日々、勉強しているところです。

――お父さんの達也さんも元選手のNPB審判員。今回、史上初の親子審判として話題になりました。そもそも審判になる選択肢は考えていたのですか?
山村: 全くないですよ(笑)。昨年末までは選手として1軍でバリバリ活躍することが夢でしたから。ただ、左ヒザをケガして現役では厳しいことがわかってしまって……。生きていくためには仕事をしなくてはいけないとなった時に次に浮かんだのが審判という職業でした。父の関係で小さい頃から審判の方にはお世話になっていて、一番身近な存在だったんです。

――審判は肉体的にも精神的にも過酷な仕事です。お父さんは反対しませんでしたか?
山村: まだ迷っているときに相談すると「プロアマの合同研修会をやるから来るか」と紹介してくれたり、反対はしませんでしたね。

――左ヒザのケガは半月板損傷だと聞いています。試合中に痛めたそうですね。
山村: BCリーグとのグランドチャンピオンシップの第1戦(10月22日)で真後ろのファールフライを追ってスライディングをした時に激痛が走りました。滑った時に地面にレガースがひっかかり、足とヒザとが反対方向に引っ張られた感じになってしまったんです。その前からヒザに違和感はあったので、最終的にそのスライディングキャッチが引き金になったんでしょうね。ヒザがぐらついてしまって、残りの試合はテーピングでガチガチに固めて出ました。その時は“タダじゃすまないかもしれないけど、しばらく休めば治るだろう”という感覚でしたね。

――ところが、病院では手術しないと治らないという診断だったと?
山村: はい。「マジかぁ……」とショックでしたね。手術をしたら、どんなに頑張っても前期シーズンは棒に振ってしまう。もう1年は現役でチャレンジするつもりだったんですけど、年齢的なことを考えても、「もう、これは諦めるしかないかな」と気持ちが傾いていきました。

――キャッチャー出身の審判といえば、選手会が選ぶベストアンパイアに9年連続で選ばれている名幸一明さんもそうです。「キャッチャー経験があったので、ストライク・ボールの判定は比較的、苦労しなかった」と言っていました。
山村: それは感じますね。むしろ主審が一番落ち着きます。中学時代からずっとキャッチャーをしてきましたから、目線が一緒なのでやりやすい。むしろ塁審のほうが慣れなくてとまどってしまいます。どこに立って、どう動いてプレーを見たらよいかは状況によって変わるので、それをしっかり理解することが大変です。