私のワクワク留学体験記 
エール大学大学院で出会ったロシアの宇宙開発支えた天才科学者たち

2012年09月10日(月) 田村 耕太郎

 

ソ連崩壊でエール大学に押し寄せた宇宙科学者たち

 今回から不定期に私が海外留学中に出会ったすごい連中やユニークな体験について記していきたい。第一回は腰を抜かすほどの頭脳を見せつけてくれたロシアの科学者たちについて書いてみる。

 私は1995年から、米国のアイビーリーグ名門エール大学大学院の国際経済・開発経済学科に留学した。そこに来ていた連中は、色んな意味で各国のエリートであった。日本からは大蔵省(現・財務省)、日銀、郵政省(現・総務省)のキャリアたち。中南米からは、将来の大統領や中央銀行総裁候補が来ていた。

この年に異彩を放っていたのが、旧ソ連から留学に来ていた連中だ。今でいうロシアからもウクライナからもいた。聞いてみると、なんと彼ら全員、ロシア科学アカデミーの研究者たち。こちらも他人様の事は言えないが、彼らの英語はロシア訛りがキツく、コミュニケーションには苦労した。あまり笑わず、とっつきにくい感じであった。

 彼らの多くはハングリーであった。時はソ連崩壊直後。故に、科学アカデミーにもお金が入らず、天才的な数学や物理の大家である彼らさえも失業同然。米国であらたなチャンスを掴もうとしていた。

 すでにロシアで20代前半で数学や物理の博士号を取得していた彼らは、NASAやアメリカの大学での研究職は目指さなかった。見た目からして頭脳キレキレの彼らは、「僕らの頭脳をウォール街で活かしてひと儲けしたい」と語っていた。今日ではロケット工学者が株価の予測をやっていたことは有名な話だが、17年前の当時はその走りなので「宇宙科学者がウォール街って変わっているなあ」というのが私の第一印象だった。




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田村 耕太郎

(たむら・こうたろう) 前参議院議員。エール大学上席研究員、ハーバード大学研究員などを経て、世界で最も多くのノーベル賞受賞者を輩出したシンクタンク「ランド研究所」で唯一の日本人研究員を務めた。
国立シンガポール大学公共政策大学院名誉顧問、新日本海新聞社取締役東京支社長。
1963年生まれ。早稲田大学卒業、慶応義塾大学大学院修了(MBA取得)。デューク大学ロースクール修了(法学修士)、エール大学大学院修了(経済学修士)、オックスフォード大学上級管理者養成プログラム修了、ハーバード大学ケネディスクール危機管理プログラム修了、スタンフォード大学ビジネススクールEコマースプログラム修了、東京大学EMP修了。
2002年から10年まで参議院議員を務めた間、内閣府大臣政務官(経済財政、金融、再チャレンジ担当)、参議院国土交通委員長などを歴任。
シンガポールの国父リー・クアンユー氏との親交を始め、欧米やインドの政治家、富豪、グローバル企業経営者たちに幅広い人脈を持つ。世界の政治、金融、研究の第一線で戦い続けてきた数少ない日本人の一人。
2014年8月、シンガポールにアジアの地政学リスクを分析するシンクタンク「日本戦略情報機構(JII)」を設立。また、国立シンガポール大学(NUS)リー・クワンユー公共政策大学院の兼任教授に就任し、日本の政府関係者やビジネスリーダーに向けたアジア地政学研修を同校教授陣とともに実施する。
著書に『君に、世界との戦い方を教えよう 「グローバルの覇者をめざす教育」の最前線から』などがある。