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二宮清純レポート日本球界・最速のサウスポー吉川光夫(24歳・日本ハムファイターズ)選手を「大化け」させる言葉の魔術

2012年09月10日(月) 週刊現代
週刊現代

勝ち負けは誰の責任か

〝病は気から〟とは、よく言ったものだ。

 昔の話で恐縮だが、ノーコン病を克服してチームのエースにまで上り詰めた大型サウスポーの例を思い出した。

 その男の名前は新浦壽夫。'78、'79年には連続して15勝をあげるなど、先発、リリーフ両面で第一期長嶋巨人を支えた。

 若き日の新浦の〝ノーコン伝説〟は吉川など足元にも及ばない。

 一軍定着前の出来事。キャンプ初日、新浦は長嶋茂雄のバッティングピッチャーを務めた。いいところを見せようと力を込めて投げたところ、いきなり初球のストレートがミスターのヘルメットを直撃した。

 静まり返るグラウンド。飛び出してきた当時の投手コーチ藤田元司は真っ青な表情で新浦にこう告げた。

「新浦、明日から(二軍のキャンプ地)都城に行け!」

 往時を懐かしみ、苦笑まじりに新浦は言った。

「これが本当の〝都落ち〟だったわけですね」

 '75年、現役を引退した長嶋が監督に就任した。この年、巨人は球団史上初の最下位になるのだが、・A級戦犯・のひとりが新浦だった。

 37試合に登板して2勝11敗。ボールを連発し、カウントを整えにいったボールを狙い打たれた。

「もうマウンドに上がるのも嫌でした。後楽園球場はライトポールの下にブルペンがあったので、ベンチから向かうと一塁側スタンドの前を通るんです。〝オマエは投げるな!〟というヤジがダイレクトで耳に入る。

 で、マウンドに上がるとお客さんがザーッと出口に急いでいる様子が見えるんです。〝新浦じゃ、負けゲーム〟と思っているんでしょう。これは辛かったですよ」

 それでもミスターはめげなかった。来る日も来る日も新浦を使い続けた。

「コイツを一人前に育てない限り、巨人に未来はない」

 ミスターはそう信じ込んでいたのである。

 翌'76年、新浦はタバコを断った。自らに向けられる世間の視線の厳しさを意識したことに加え、「2勝11敗じゃ監督に申し訳ない」という贖罪の思いもあったのだ。

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