大化けした『相棒』、安定感抜群の『報ステ』、アイディアの勝利『お試しかっ!』---プロパー社長・早河洋氏の下で月間視聴率3冠を達成したテレ朝の躍進劇

 1959年に開局したテレビ朝日(旧NET)のトップには、長らく親会社の朝日新聞社出身者が就いていた。それは2000年代半ばまで環境省が事務次官の座を財務省など他省庁出身者に奪われ続け、二流官庁と蔑まれていたのと似ていた。テレ朝は視聴率で万年4位に甘んじ、他局からは軽んじられていた。

 テレ朝のプロパー社長第1号は、09年に就任した現社長の早河洋氏(68)。その早河氏の下で今年4月に開局以来初となる視聴率月間3冠王が達成され、4月~6月の今年度第1四半期も3冠王を獲得したのだから、テレビを熟知したプロパーに任せたことは正解だったようである。

 朝日新聞出身の社長が続いた時代をテレ朝の有力OBが渋面で振り返る。

「新聞出身の社長は、番組の質や会社のイメージばかり重んじていたけれど、テレビの質やイメージなんて、本当のところは誰にも分からない。以前、低視聴率番組を作った部下が、臆面もなく『内容は良かったと褒められている』と得意げに話していたから、『一体、誰が褒めているんだ?』と問い詰めたら、『女房です・・・』だって(笑)。結局、テレビの物差しは視聴率しかない」

 他の業種に例えれば、よく分かる。性能の良い車を製造しても売れなくては意味がない。うまいビールであれ、売れ行きが悪ければ生産中止になる。テレビも視聴率が上がらなければ稼げない。民放幹部によれば、視聴率年間3冠王を獲得すると、翌年のCM売り上げは約100億円も違ってくるという。

躍進の立役者は無頼派の報道マン

 早河氏は単にプロパーであるだけはない。『報道ステーション(報ステ)』の前身である『ニュースステーション(Nステ)』の初代プロデューサーとして、85年にスタートした同番組を大成功させた。現在のテレ朝の好成績を支えるのは、激戦区である午後10時台で常時10%半の視聴率をグリップする『報ステ』であり、その意味で早川氏こそが躍進の礎を築いた立役者なのだ。

 「オッス」。95年、報道局から広報局長に転じた早河氏から挨拶された若手放送担当の新聞記者たちは驚いた。大抵の広報幹部たちは新聞記者に悪いことを書かれまいと、過度なぐらいに慇懃に振る舞う。ところが早河氏は偉丈夫であるだけでなく、若い記者たちなど鼻も引っかけぬ。絵に描いたような無頼派の報道マンのままだったのだ。

 だが、内面は違ったらしい。「繊細で面倒見が良く、人情に厚い。無頼漢を気取っているのはシャイだからだろう。うちの局には朝日新聞出身者とプロパーとの壁のほか、報道と制作にも垣根があったのだが、制作畑の人間も早河氏の人柄に触れ、『あの人のためなら』と汗をかいた」(テレ朝関係者)。

 テレ朝における報道と制作の垣根とは何か? 今の時代では信じられないが、報道を柱とするテレ朝が、開局から70年代前半まではニュース番組の制作を外部(朝日テレビニュース社)に委託していたのだ。このため、制作と報道の人材交流に熱心とはいえなかった。草創期に分社されていた理由は、親会社との兼ね合いだったようだ。

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら