[障害者スポーツ]
伊藤数子「ハンドサイクル・永野明、ロンドン開幕とともに始まるリオへのカウントダウン」

 12日、17日間の熱戦が繰り広げられたロンドン五輪が幕を閉じました。日本は史上最多となる38個のメダルを獲得したこともあり、2週間経った今もまだその熱気が残っています。改めてスポーツの力を見たような気がしました。

 しかし、ひとつ残念なことがあります。20日に行なわれたメダリストたちのパレードです。なぜ、これから開幕するパラリンピックを前に行なわれてしまったのでしょうか。「国民の熱が冷めないうちに」、また「2020東京オリンピック・パラリンピック招致を意識した、東京開催への国民の支持率アップのための仕掛け」等々、さまざまな理由があったことでしょう。確かに理解はできるのですが、やはりパラリンピックのメダリストも含めたパレードを見たかったという気持ちは否めません。

 その一方で五輪閉幕後、メディアがパラリンピック選手を取り上げる回数が増え、北京大会以前にはなかった盛り上がりを感じてもいます。選手たちの多くがそのことに驚きと喜びを感じているようです。パラリンピックも五輪に負けないくらいの熱戦が多く見られることを期待しています。

 さて、29日のロンドン大会開幕と同時に、4年後のリオ大会に向けて、スタートしようとしている選手がいます。ハンドサイクルで初のパラリンピック出場を目指す永野明選手です。ハンドサイクルとは、自転車の手こぎ版とでも言うのでしょうか、足でペダルを踏んで漕ぐのではなく、手でハンドルを回して漕ぐ乗り物です。このスポーツの魅力は、年齢、性別に関係なく、そして下半身不随の障害をもつ人でも楽しめるということ。そして、何といっても、さわやかな風を切って走る爽快感にあります。

 永野さんは脳性まひで、幼少時代から両足が動かしにくい状態です。しかし、彼のお母さんは健常の子どもたちと同じように、何でも永野選手にさせたそうです。ですから、永野選手はある程度の距離であれば、自分の足で歩くことができます。そんな彼が最初に出合ったスポーツが障害者プロレスでした。高校卒業後、上京した永野選手は、『無敵のハンディキャップ』(文芸春秋)という本によって障害者プロレスを知りました。そして彼は、「よし、オレもこれをやるんだ」と強く思ったそうです。思い立ったが吉日とばかりに、すぐさま障害者プロレス団体「ドッグレッグス」の門を叩き、入門したのです。そして、「ぜひ、自分の故郷である福岡にも広げたい」と4年後には自ら「FORCE」という団体を立ち上げ、興行を始めました。

 そんなある日、永野選手はハンドサイクルで100キロを走行した人のドキュメント番組を目にしました。すると、プロレスの時と同じ彼の“やる気スイッチ”がパチッと入り、「オレなら1000キロ走れる!」と思ったそうです。そしてすぐにハンドサイクルを購入し、自主的にトレーニングを始めました。この行動の早さには本当に驚かされるばかりです。

 そして08年10月、永野選手は東京・日本橋をスタートし、地元・福岡までの1200キロのランを決行しました。そこでNPO法人STANDでは既に事業として行なっていたインターネット中継「モバチュウ」を応用し、携帯電話の映像で永野選手の走りを中継することにしたのです。伴走する自転車に携帯電話を取りつけての中継で、画面から見えるのはひたすら走る永野選手の後ろ頭のみ。表情も何もわかりません。そこでもう一つ、自転車の後ろで伴走する車から携帯電話でGPSをとばし、画面上の地図で永野選手の走っている位置がわかるようにしました。永遠に後ろ頭しか見ることしかできませんから、正直、それほど多くのアクセス数は期待できないと思っていました。

 ところが、意外にも日を追うごとにアクセス数がどんどん増えていくではありませんか! 一度、アクセスした人が「今日も無事に走っているのかな?」「ちょっと遅れているみたいだけど、無事に着くんだろうか?」「天気が悪いみたいだけど、大丈夫かな?」とこまめにチェックするようになっていたのです。さらに、永野選手が走る行程を細かくわかるようにしていたため、自分が住んでいる付近に来ることがわかると、永野選手が通るのを道端で待ってくれている人が何人も出てきました。ある人は「お腹が空いた時に」とバナナをくれたり、ある人は「頑張って」と応援メッセージが書かれた垂れ幕を下げて待ってくれていたり……。その人たちとは今も永野選手は交流があるそうです。そんな温かい人たちに見守られながら、

 10日後、永野選手は無事にゴールテープを切りました。1200キロという想像もつかない長距離を走り切った永野選手に「お疲れ様でした」と私たちがほっとしたのも束の間、彼はすぐに「さて、来年はどこを走ろうか?」と言うのです。またまた驚きの声をあげずにはいられませんでした。