ザックが売り込み「(サッカー)吉田麻也主将のお値段」
クラス対抗リレーで激走する吉田(写真中央)。日課の早朝ジョギングで培ったという自慢の脚力を披露した

 惜しくも決勝進出はならなかったものの、メキシコ五輪以来44年ぶりにベスト4進出を遂げたサッカー男子代表。その立て役者となったのが、主将を務めた吉田麻也(23、蘭VVVフェンロ)だ。

 サッカー解説者のセルジオ越後氏が、その存在の大きさを語る。

「吉田が最終ラインに加わったことで守備が安定し(準決勝までの4試合で無失点)、チームに一本芯が通った。彼が日の丸にこだわってオーバーエイジ枠での招集を受けてくれて本当によかった」

 長崎市に生まれ、小学2年生で地元のクラブチームでサッカーを始めた吉田は、6年生の冬に名古屋グランパスエイトのセレクションを受験している。70人のうち合格はわずか4人という狭き門だった。受験浪人中の兄とともに愛知県みよし市に移り住むと、市内の公立中学校に進学。当時の同級生が回想する。

「女子に人気」と同級生が証言したように、中学の卒業文集に「モテる男子1位」の証拠が

「麻也クンはイジられ上手なので、人から好かれやすかったです。運動神経バツグンな上に性格が優しいものだから、女子からモテてましたね。その頃から『将来は海外でプレーしたい。イギリスがいいなぁ』なんて話してましたよ」

 名古屋のユースで技を磨いた吉田少年は、18歳の春にトップ昇格(プロ契約)。当時はMF登録であったが、元日本代表DFの秋田豊が戦力外通告を受けるなど守備陣が手薄になっていたチーム事情もあって、DFへの転身を果たす。以来、センターバックが彼の指定席だ。

 話を五輪に戻そう。1次リーグ初戦で強豪・スペインを破るなど躍進を遂げた関塚ジャパンの大黒柱は、戦前から「もちろん五輪での活躍が今よりも上のクラブに移籍するためのアピールになればいい」と包み隠さず語っていた。有言実行で結果を出した彼に、欧州の諸クラブはいかなる〝値段〟をつけるのだろうか。伊セリエAや英プレミアリーグのトップ選手を顧客に多く持つ代理人のA氏が明かしてくれた。