2012年度四半期視聴率でも低迷が続くフジテレビ。凄腕プロデューサー・大多亮氏の大抜擢人事で、3冠返り咲きはなるか!?
昨年度視聴率3冠王の座を日テレに譲り、新年度4月クールでも低迷するフジテレビ〔PHOTO〕gettyimages

 フジテレビの社内が重い雰囲気に包まれたのは、今年4月9日のことだった。「うちが3位なんて、いつ以来のことだ・・・」と編成制作局の幹部が呻いた。

 この日、2012年度の第1週の週間視聴率が判明したのだが、長年のライバルである日本テレビの後塵を拝しただけでなく、90年代までは歯牙にもかけなかったテレビ朝日にも抜かれていたのだ。全日帯(午前6時~深夜0時)、ゴールデン帯(午後7時~同10時)、プライム帯(午後7時~同11時)のいずれも3位という惨敗だった。

 新年度第1週の視聴率は、そこから始まる新しい年度の趨勢を占うため、通常の週間視聴率より、ずっと重い意味を持つ。実際、その後のフジは苦戦を強いられ、4月クール(4月~6月)の四半期視聴率3冠王はテレ朝にさらわれた。これは59年に日本教育テレビ(NET)として開局後、初の快挙であり、フジは経験したことのない屈辱を味あわされた。

 フジは一昨年まで7年連続で年間視聴率の3冠王を得ていたが、昨年は「家政婦のミタ」を大当たりさせた日テレに奪還された。テレ朝は企業の協力を得た「お試しかっ!」などの新型バラエティーや「相棒」などの刑事ドラマ群が当たり、波に乗る。手をこまねいている訳にはいかないフジが取った手段は---。6月末の役員人事で、大多亮氏を編成制作担当の常務取締役に昇進させることだった。

 執行役員クリエイティブ事業局長から、平取締役を飛び越えての大抜擢。53歳。7人いる常務のうち一番若い。それゆえ局内からは「随分と早いな」と驚きの声も上がったが、ライバル局の幹部は「思ったより早く手を打った。さすがフジ」と舌打ちした。

「大多は頼りになる」

 テレビにさほど興味のない人でも、大多氏の名前は耳にしたことがあるのではないだろうか。早大卒業後の81年に入社すると、80年代後半から90年代にかけ、大ヒットドラマを立て続けにプロデュース。「東京ラブストーリー」(91年)、「101回目のプロポーズ」(同)、「愛という名のもとに」(92年)、「ひとつ屋根の下」(93年)---。いずれも20%台から30%台の高視聴率を記録。放送当夜には、若い女性が街から消えるという現象まで起きた。自宅でドラマを見るためだ。テレビ界には現在、20%を超えるドラマが1本もないのだから、1人で大ヒット作を連発した大多氏の凄腕ぶりがうかがえる。

 フジの制作幹部によると、「大多にやらせよう」と決断したのはフジの総帥・日枝久会長(74)。フジは4月から、放送済みの一部番組をユーチューブで無料配信し、広告収入をグーグルと分け合うというパートナーシップ契約を結んだが、交渉を担当していたのがクリエイティブ事業局長だった大多氏。世界を席巻する巨大企業との交渉で、堂々と渡り合った大多氏に対し、日枝氏は信頼を深め、大抜擢を決めたとされる。日枝氏は「大多は頼りになる」と周囲に漏らしたという。

 テレビ業界に限らず、企業は過去の成功体験を引きずりがちであり、リーディング・カンパニーでも一度転落してしまえば、容易には再浮上できない。とりわけ、企業の財産が人的資源しかないテレビ業界では、人材育成と組織編成のミスは会社全体を揺さぶる致命傷となる。そうならないため、フジは04年から10年まで年間視聴率3冠王を続けていながら、早々に過去と決別したのだ。

 テレビ業界が既得権産業で、国からの電波割り当てがあれば確実に儲かった80年代までなら、大多氏の大抜擢はなかったに違いない。番組の約半分は外部の制作会社に作らせ、局内制作分も派遣スタッフの力を借りて作れば、テレビ業界はそう苦労せずに高収益を上げられた。だが、91年に有料の衛星放送(BS)のWOWOWが開局して以降、業界を取り巻く環境は瞬く間に激変した。

 今や有料、無料のBS放送は31チャンネル。通信衛星放送(CS)、ケーブルテレビも加入者数を増やしている。ネットもゲームもあり、テレビは茶の間の王様ではない。もはや業界は安穏としていられず、人事も旧態依然とした年功序列ではとても通用しない。規制緩和後の他業種と同じだ。

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