野球
二宮清純「ノーコン退治のヒント」

「ピッチャー鹿取!」

 巨人の監督時代、王貞治さんは来る日も来る日もリリーフに鹿取義隆さんを起用したことがあります。「カラスが鳴かない日はあっても、鹿取が投げない日はない」などと揶揄されたものです。

 いったい、鹿取さんは、どれくらい投げていたのでしょう。調べてみると、1985年=60試合、86年=59試合、そして87年にはリーグ最多の63試合に登板しています。

「このままでは鹿取が潰れちゃうよ」。口さがない関係者は小声で、そうボヤいていました。

投げたい鹿取、逃げたい新浦

 一度、本人に「正直言って、しんどくないですか?」と訊ねたことがあります。
意外にも鹿取さんは明るい表情でこう答えてくれました。
「よく、そう言われるんですけど、きついとかしんどいとか思ったことは一度もありません。投げられるのが、うれしくてうれしくて仕方がないんです」

 そして、こう続けました。
「だってリリーフという仕事は、ベンチに座っていても給料は上がらないんです。先発投手がそのまま完投すると仕事にならない。もうオマンマの食い上げです。だからお呼びがかかると、僕はいつも喜んで投げていました」

 鹿取さんと全く逆のことを言ったのが、巨人では鹿取さんの先輩にあたる新浦壽夫さんです。

「ピッチャー新浦!」

 当時、監督をしていた長嶋茂雄さんが審判にコールするたびに、新浦さんは逃げ出したくなったそうです。

 長嶋さんが打たれても打たれても新浦さんをマウンドに送り出したのは、巨人が球団史上初めて最下位になった1975年のことです。

 この年、新浦さんは37試合に登板して、2勝11敗、防御率3.33という成績を残しています。若き日の新浦さんは“ノーコン”に悩まされており、本拠地の後楽園球場ではウグイス嬢が新浦さんの名前をコールした瞬間、ゾロゾロと席を立つ観客の姿が目に入ったそうです。ピッチャーにとってこれほどの屈辱はないでしょう。