[ロンドン五輪]
白戸太朗「上手く負ける難しさ」

五輪マークが取り付けられたタワーブリッジ

 今年も4年に一度の熱い夏が終わった。僕のようなスポーツジャンキーはもちろんだが、普段はスポーツに興味をもたない人でも、この時ばかりは眠い目をこすって見る機会を設けるのが素晴らしい。どんな作りものより、人間が真剣に取り組む姿、そして人類の頂点を目指す姿に心を奪われるのだろう。これはスポーツでなくともできるものではあるが、やはりスポーツはそれが最も分かりやすい形で見せてくれるものであり、スポーツの持つ力を再認識した夏でもあった。

 とはいえ、所詮人間が作るもの。様々なトラブルが波紋を呼んだのも事実である。男子サッカー3位決定戦の日本対韓国戦の政治的アピール問題、体操の誤審、バドミントンの失格問題などは印象に残っている人も多いことだろう。中でもサッカーの問題はIOCが懸念する「オリンピックの政治的利用」に抵触するもので、本人の意思にかかわらず周囲がセンシティブに反応したのは当然と言える。歴史的に一般市民に影響力の強いスポーツを、政治が利用しようという流れは何度もあり、それとの決別を意としているIOCが朴鍾佑選手にメダルを与えていないことは妥当ではないだろうか。誤解なきように書き添えると、問題なのは彼が訴えた内容ではない。あの場で政治的な行動をしたことに問題があるのだ。ここが崩れてしまうと、オリンピックが「きな臭い」ものになり、あっと言う間に今の輝きは失われるだろう。

引っかかる”無気力”への処罰

 もう一つ、今でも私の中で腑に落ちないのがバドミントンの問題だ。「スポーツマンシップに反する」「オリンピックにふさわしくない」などと、かなり批判されたが、どうしても引っかかる。オリンピックに出場しているアスリートは、命を懸けて、時には命を削りながらメダルを目指している。もちろん、メダルの先には名誉やお金もあるとは思うが、選手である限り、自分がやっているスポーツで頂点に立ちたいという思いはあって当然だ。そのためにはルールに反しない限りはなんだってやる。練習や戦術の研究はもちろん、食べる寝るをはじめとする生活のすべてをそのために注ぐのだ。新しい練習法があると聞けば研究し、食べ物や食べ方があると聞けばトライする。そんな繰り返しをしながらあの場に挑んでいるのだ。その選手たちが欲しいものは世界の頂点である証のメダルという賞。そのために戦略を考える。その一つがトーナメントでの対戦相手調整のために、わざと負けることだった。それがそんなに悪いことだったのか。

 もちろんスポーツマンシップに準じていたかと言われると疑問が残るが、最終的に勝つための戦略で、その過程では全力を出さないことなど他のスポーツでもいくらでもある。なでしこの予選リーグでの戦い方に関しては同じような批判もあったし、ボルトが予選で流すことは失格か? 褒められる行為でなかったのは当然だが、オリンピックという競技の場から追い出されるほどの厳罰に値したのか……。「露骨すぎた」という声もある。確かにそれはそうで、もう少し上手に負けていればこんな騒ぎになっていなかったと思う。選手であれば、戦略的に有利になることをやるのは必然だ。「こんな試合はけしからん」という観客だって、最後に見るのは結果。メダルを獲った選手を称え、負けた選手には僅かの慰めの言葉だけで、1カ月後には名前すら思い出せなくなる。

 何度も言うようだが、選手は命を懸けている。結果を残すためにルールの中ではなんだってする。今回の行為が「スポーツの品行汚す」という違反ならば、上手に負けることは違反ではないのか……。ここは結局誰も結論付けてはいない。ただ、「常にその場で勝つためにプレイをしなければならない」という項目に違反したとするなら、今回のオリンピックでも大量の失格者を出すことになる。今回の彼女たちの行為は、「露骨すぎた」ということによるペナルティーとしか取れないのだ。それが正しいのか……!?