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[虎四ミーティング]
水野雄仁(プロ野球解説者)<前編>「無欲の初優勝、狙った連覇」

2012年08月10日(金) スポーツコミュニケーションズ

二宮: 水野さんは牛丼はよく食べられますか?
水野: 現役時代はよく食べましたよ。

二宮: 私も水野さんと同じ四国出身ですが、若い頃は四国に牛丼屋はあまりなかったですよね。
水野: 徳島にはなかったですね。

二宮: 初めて牛丼を食べたのはいつですか?
水野: プロに入ってすぐです。宮崎キャンプの時に、駅前のうどん屋さんによく食べに行っていたんです。うどんだけじゃ足りないからって、牛丼も一緒に頼んでいました。

二宮: 初めての牛丼の味は?
水野: いやぁ、やっぱり美味しいなと思いましたよ。ご飯がすすみましたね。

エースを男にしたい!

二宮: さて、今年も高校野球が開幕しましたが、水野さんと言えば、“やまびこ打線”で一世を風靡した池田高校での活躍が有名です。当時の池田は本当に強かった。水野さんは2年生の夏は「5番・レフト」で出場していましたね。3番には長距離砲の江上光治さんがいて、4番はエースの畠山準さんでした。
水野: 実は、徳島県大会では僕が4番を打っていたんです。ところが、僕がホームランばかり狙うもんだから、蔦文也監督が怒って、甲子園では畠山さんを4番にしたんです。

二宮: 当時、早稲田実業には荒木大輔さんがいました。
水野: 「東の荒木、西の畠山」と言われていたのに、その年の春、早実は甲子園に出場してベスト8までいって、僕たち池田は甲子園に出場することができませんでした。それで「夏は絶対に甲子園に出場しなければ」という雰囲気がありましたね。だからその年の夏、徳島県大会で優勝した時はみんなホッとして、大喜びでしたよ。甲子園ではいつ負けてもいいと思っていましたから、楽な気持ちで臨んだんです。それが良かったんでしょうね。

二宮: あの打線がなければ、優勝はしていなかったかもしれませんね。剛腕と言われながら、甲子園では畠山さんは結構打たれていましたから。
水野: そうなんです。一度も完封がなかったですからね。

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