徳大寺有恒 第1回 「寛容な美しい精神をわたしに教えてくれた徳大寺さんには、土下座して謝ってもまだ足りない」

撮影:立木義浩

<店主前曰>

男と女の愛情は相性が決め手だが、男と男の友情も相性が肝心だ。徳大寺有恒さんとわたしは会った瞬間からピッタシカンカンに気が合った。葉巻、シングルモルト、食い物、お洒落、そして女、などなどをこよなく愛する徳大寺さんは、頭のてっぺんから足の先までダンディな、水も滴るいい男である。唯一、わたしがついていけないのはクルマの話だ。でもそんなことは気にすることではない、と徳大寺さんは寛大にわたしとトコトン遊んでくれている。

かれこれ10年くらい前のことだが、わたしは集英社インターナショナルで「痛快シリーズ」を編集していた。是非、徳大寺さんに『痛快自動車学』を上梓してもらおうと、ホテルにカンズメになってもらい、口述をテープに録った。毎日5時間ぶっ続けで、合計2週間はやっただろうか。さあ、いよいよ原稿にしようという段になって、あろうことかあるまいことか、担当編集者がその大事なテープを持ってトンズラしてしまったのだ。

その編集者はこころを病んでいたことが後日判明したのだが、それから彼はわたしの前に姿をみせていない。途方に暮れたわたしは深々と頭を下げて謝罪した。

徳大寺さんは「いいんです。シマジさんとあんなに長い時間、一緒におしゃべりをして愉しく過ごせただけで、ぼくは幸せです。あの仕事はなかったことにしましょう」とすべてを水に流してくれた。わたしは徳大寺さんの寛容さに感激してこころの中で泣いた。

人生は、ときにこんな恐ろしい冗談みたいな"大事件"が起こることがある。もし徳大寺さんがその辺の凡庸で狭量な男だったら、「絶交だ!」とわめきき散らして、本当に絶交されていたにちがいない。ところがわたしたちの友情はこの一件でますます深まったのである。

3歳年上の徳大寺さんは、寛容な美しい精神をわたしに教えてくれた人である。だから、わたしは、前線から逃亡して行方不明になった編集者を決して恨んでいない。むしろ感謝さえしているのだ。