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7・27ついに開幕!ロンドン五輪日本代表「ザ・リベンジあの屈辱を忘れない」

太田雄貴(フェンシング)、内村航平(体操)
宮間あや(女子サッカー)、平岡拓晃(柔道)
村田諒太(ボクシング)、潮田玲子(バドミントン)

2012年08月01日(水)
週刊現代

「金メダルを獲るまでは笑わない」と誓った男がいる。4年前の夏、自分の首にかけられるはずだったメダルは、他人の胸で輝いていた。ロンドンまでの1433日—逆襲への準備は、万端だ。

フェンシング 太田雄貴
神懸かりの男がもう一度魔物になる

 それは、日本人初の快挙だった。

「北京の後は大騒ぎで、10ヵ月はテレビ出演が絶えなかった。本人はフェンシングという競技を広める意識を持っていたようですが、もともと何をしても器用ですから、そのままテレビの人になってしまうんやないかと思ったくらいですよ」

 4年前にフェンシング男子フルーレで日本人初の銀メダルを獲得し、一躍時の人となった太田雄貴(26歳)の父・義昭さんは語る。

「我が子ながら雄貴は不思議な男で、何かを達成した次の瞬間には、もう興味を失っている。銀メダルもそう。大会後に、取材などで『首にかけてください』と言われても、『嫌です』と拒否していましたから」

 決して競技への熱を失ったわけでも、テレビタレントへの転向を考えていたわけでもなかった。

「あくまで、銀メダルには、興味がない、ということなんです」(義昭氏)

 北京後、森永製菓に入社した太田は、'09年4月から同社所属のままフランスのクラブチームに期限付きで入団。すると渡仏後2戦目には、北京五輪で敗れたクライブリンクを破って優勝。日本選手で初めて国際フェンシング連盟ランキング1位に立つ。翌'10年には、パリで行われた世界選手権で日本人史上最高位となる3位に入ってみせた。

 だが魔法は、あっという間に解けてしまう。

 飛ぶ鳥を落とす勢いで成績を上げる太田に対し、各国の有力選手たちが徹底した「太田対策」を講じはじめたのだ。結果、左第4肋骨骨折や肘のケガなどの故障にも見舞われ、太田は瞬く間にランキングから姿を消していった。

 中学から大学まで太田のコーチをしていた飯村栄彦氏が語る。

「彼は自分でも言っていますが、すごく寂しがりや。誰かがそばにいてあげないとどうにかなってしまうタイプです。今年になって『ちょっとレッスンしてほしい』と何度か京都に帰ってきた。よほど迷っていたのでしょう。最後が4月の和歌山国際大会の直前で、一つひとつの技の確認、調整をやりました」

 そのW杯では決勝トーナメント1回戦敗退。世界ランクを17位まで落とした。しかし、京都市内でフェンシング用品店『KFE』を営み、太田の剣の修理調整をする坂口武己氏は言う。

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