日経新聞社長「女性スキャンダル報道」から考える「新聞社のガバナンス」にとって必要なものは何か~北朝鮮的経営から開かれた経営への転換を

 「私は日本経済新聞の出身です」というのが恥ずかしくなった。これまでは「世界屈指のクオリティ・ペーパー」などと評され、読者から「日経は真面目な報道に好感が持てる」などと言われていた。しかし、『週刊文春』7月19日号に「日経新聞社長と美人デスクのただならぬ関係」という記事が載り、11日の日経朝刊に「本社、文藝春秋を提訴へ」という記事が載ったことで、「あの不倫社長の日経ですか?」と嘲笑の対象になっている。現役社員も、OBもこの不名誉から脱したいと思っている。

公明正大なら、堂々と

 問題の7月19日号の次の号にも、喜多社長についての疑惑の記事が載ったが、広告拒否はなかった。日経社内で「良識」が復活したのだろうか。

 ベストなことは、喜多社長自身が公の場で「濡れ衣である。週刊文春の報道は事実誤認である」と語り、その証拠を公表することだ。厚労省の村木厚子氏のように、天下の検察ですら、事実を歪曲することもある。村木氏は正々堂々と闘って、自分の名誉を回復した。この件で、厚労省は中立を守った。

 新聞社の社長が裸の王様になりやすい環境にあることは、前回のコラムに書いたとおりだ。

 一方で、新聞は公器である。

 再販が認められている(価格維持が公的に認められている)。記者は一般人が入れない世界の取材を許されている。株式の譲渡制限が認められている---などがその理由だ。

 私は、米国のように新聞社も株式を公開すべきと考えている。「資本の論理で報道が歪められる」というのは短絡的な発想だ。新聞社にとって、一にも二にも大事なのは「読者からの信頼」である。報道の姿勢が歪めば、新聞社は生きていけない。その「信頼の維持」のために外部資本が賛同してくれるのが、望ましい姿だ。

 社員株主で、その社員の人事権を社長が持っていれば、社長の独断専行を止めるすべはない。譲渡制限の負の側面が今回、露呈した。

 新聞社の「公器性」を維持するために、「社外取締役を入れるべき」と私に語った人がいるが、私は賛成しない。取締役会は経営に専念すべきだ。

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