[陸上]
鈴木雄介(富士通)<後編>「メダルを目指し、一歩ずつ」

 好調時の鈴木雄介はレース中に周りがよく見え、途中の景色を鮮明に覚えているという。2011年の世界陸上テグ大会に至っては「今でも誰がどこで応援してくれていたか、覚えています」と語るほどだ。
「テグではレース当日に自分の一番のパフォーマンスができるようにピークを持って行くことができた」

 その言葉通り、鈴木は最高の状態で臨んだ大一番で、周囲を驚かせるレースを展開した。

大舞台で見せ付けた大胆さ

 レースが動き始めたのは、スタートしてから2キロを過ぎた時だった。まだ大きな塊りだった集団から、イタリア人選手が飛び出すと、鈴木と中国人選手もそれについて行った。
「レース序盤のペースが遅くて、気持ち悪いと思っていた時に、前に出る選手がいた。それについて行ったら、自分のペースで気持ちよく歩けたんです」

 鈴木がこう振り返ったように、最初の1キロの通過タイムは4分33秒。1キロ4分ペースが目安となる20キロ競歩において、明らかにスローペースだった。

 その後、鈴木は4キロ手前で中国人選手を抜いて2位に浮上し、5キロを通過する時点ではトップと並んだ。そして8キロ過ぎ、イタリア人選手のペースが落ちる。気付けば、鈴木の周りにはもう誰もいなかった。
「前半から大胆にレースを進めるのが彼の持ち味ですが、それを世界の舞台で出せるというのはすごいことですよ」

 沿道で声援を送っていた同僚の森岡紘一朗は、世界のトップウォーカーたちを引き連れて歩く後輩の姿に驚きを隠せなかった。それは誰もが予想していない展開だった。

 10キロ、11キロ、12キロ……。1キロ4分を切るペースで鈴木の独歩は続いた。だが、世界陸上は、彼をそのままゴールさせてくれるほど甘い舞台ではなかった。終盤になると、世界の猛者たちも次々とギアを上げてきた。15キロ付近から鈴木は1人、また1人と追い抜かれ、最終的に8位でフィニッシュした。
「トップを歩くのが10キロ手前くらいで終わっていれば、何とも思わなかったでしょう。でも、それが15キロまで続いた。体も軽かったので、本当に気持ちよく歩けました」

 レースを振り返る鈴木の表情は明るかった。また、8位に入賞したことにより、日本陸上競技連盟が定めた「世界陸上で入賞すれば五輪代表内定」という派遣条件をクリア。日本陸上競技界において、ロンドン五輪の内定第1号となった。

 だが、その一方で鈴木には大きな課題もつきつけられていた。レース後半の体力不足である。実はこのレースで、鈴木は2度の警告を受けていた。競歩ではコース上に歩型に違反がないかジャッジする審判(ロード種目では主任を含めて9名)がいる。主な反則は、「ベント・ニー」と「ロス・オブ・コンタクト」の2つ。前者は前に振り出した足が地面に接地する際のヒザが曲がってしまう反則。後者は両足が地面から離れた状態になった時の反則、つまり必ず片方の足が地面に触れていなければならないのだ。違反の場合は、注意として黄色いカードを選手に告知され、その後、告知した違反が改善されない場合は赤色のカードを警告として提示される。注意は何度受けてもペナルティは課されないが、警告は3度受けると失格となる。鈴木はレース後半で、「ベント・ニー」を2度警告されたのだ。

「トップを歩いていた時はフォームに問題はありませんでした。違反をとられるとしても、注意がいくつか出される程度だろうなと。12、3キロを過ぎて、少し疲れを感じ始めた時に注意を出されました。そして、15キロを過ぎて足が重くなって動かなくなり、歩型を保とうと粘っていた時に警告を出された。やっぱり、体力が必要だなと思いましたね」

 また、このレースで優勝したヴァレリー・ボルチン(ロシア)は、15キロ以降にペースアップして最後は独歩状態でゴールテープを切った。このロシア人選手は北京五輪を制し、世界陸上も2連覇(ベルリン、テグ)中のまさに絶対王者。目標である“世界一”を目指す上で、倒さなければいけない相手だ。鈴木は「明確な目標」として意識するボルチンの強さを「ラスト5キロで圧倒的にスピードを上げられること」と分析する。その意味でも、持久力強化が課題と感じた。

 また、ピーキングの重要性も改めて実感した。
「テグでは今の自分の実力でも、うまくピークを合わせられれば、世界の舞台でも入賞できるという手応えを持つことができました。そして、もっと実力を上げていけば、入賞以上も狙えると感じましたね」

 幸い、早々に五輪代表に内定したことで、鈴木には五輪本番まで約1年の準備期間が与えられた。